【正欲】誰か一人でも、理解者だと信じられる人がいてくれたら
映画「 #正欲 」を観てきた。
公開終了ギリギリで、直前に急に思い立って観に行ったのだけれど、正直めちゃくちゃよかった。
記憶と感情が鮮明なうちに、箇条書きで感想を。
清書するかどうかは、今後の私の気分次第。
どんな所属、嗜好の人間であっても、100%違わず他者を理解する、されるのは極めて困難なのだと思う
夏月と佳道は、他の人間とはあまりに大きく違いすぎて永遠に誰にも理解されないと思っていたのに、やっと見つけた生きる理由をお互いに見出した。でも一緒に暮らすうちに、少しずつお互いに対する感情や目指す未来が変わっていったのではないかと思う。映画の中ではその様子はなかったけど。(私の勝手な妄想)
登場人物の中で特に心を掴まれたのが八重子。「男の人もお兄ちゃんも大っきらいなのに、でも男の人を好きになっちゃうの」のセリフが、自分恋愛感情ととても近くて。理解してもらない、きっとうまくいかないってわかってるから、そんな感情抱かなきゃいいのに、抱かずにはいられない。そんな自分に辟易するし、全部投げ捨ててやめちゃいたい。そんなときに大也からかけられた「抱いちゃいけない感情なんてないと思う」という言葉で、全身の力がフッと抜けたみたいになって。
恋慕とか、愛情とか、性の対象とか。ものすごく細分化してみたら多分すべての人に若干ずつ嗜好の違いがあるはずだけど、それでも誰かと同じでありたいし理解を求めてしまうのが人間で、諦めても希望が見えたら手を伸ばしてしまう。でもそれは能動的であるべき。そこに違いを感じた瞬間に、理解できないもの=悪、恐怖、嫌悪にくくろうとして安心を求めるのは、もうどうしようもない人間の性なのかもしれない。
結論、どんなに親しいと感じる人でも、その人のすべてを理解することはできない。ロボットでもAIでもないのだから、つねに流動的で変わり移りゆく人の心をすべては把握しきれないし、その主自身もコントロールできないこともある。でも、人を求めずにはいられないから、誰か一人でも、理解者だと信じられる人がいてくれたら、それが思い違いであったとしてもものすごく幸福で、寄り添うあえる誰かを探す気持ちに、人種も嗜好もなにも違いはないんだと感じる。
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