記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

求恐


The Lighthouse
同監督のThe Witchが程よい温度感の映画だったので、こちらもと。

端的に言って、思っていた以上に観ていて負荷のかかる映画だった。ジャンプスケアに相当する地雷は無かったものの、前振り付きの大仰な演出は多く、気持ちよく見れるシーンよりも疲れるシーンの方が多かった。この作品に限らず、アンタゴニストの目を盗んで鍵を盗む展開って不要では?と昔から思っている。(映画全般が嫌いなのだと思われるかもしれないが、実際その節はある)

筋立てもまた、中々に鬱屈としたものだ。こう言っては身も蓋も無いが、閉鎖空間でパワハラ上司にこき使われる状況は大概の幽霊より不快だと思わずにいられない。どれだけの負荷だったかと言えば、鳥に啄まれるラストに辿り着いてむしろ安堵したくらいだ。(神話的な仄めかしに基づくなら、そこに待っているのは永劫の苦しみと考えるべきかもしれないが。)

合わない点はあれど、見て後悔の無い作品ではあった。認知の揺らぎ・神話的仄めかしのバランスは適度だと感じたし、終盤の流れは勢いがありつつ語り過ぎないものだった。
主役が両名とも救い難き存在として描かれ、懲罰されるという筋立ても、素晴らしく後味が悪い。この対比は何度も反芻したい部分だ。

*

フィルムインフェルノ
フェイクドキュメンタリーQは未だに断片的にしか視聴していないものの、魅力的なシリーズだ。好きな回を挙げるなら、『献花』、『光の聖域』、『ラスト・カウントダウン』といったところか。

インフェルノはシークバーでサムネをチェックしながら完走することができた。変わり映えのしない絵面ながら、適度な緊張感を保った良い映像だと感じた。

様々なモチーフを絡めて展開されるので、閉所に然程の恐怖を覚えない性質であっても楽しめる内容だ。他者の介在を予感させ、それを確信に至らしめるまでの流れはとても丁寧に敷かれていた。

明かされない謎が多すぎる、というよりは深堀するには手がかりが少なすぎるように思えてならない。致命的な瑕疵だとは思わないが、個人的に"刺さる"作品にならないのはそれが主な理由だと感じる。

*

かわいそ笑
梨氏の作品は、Webメディア掲載ということで馴染みのあるものだ。個人的に好印象だった作品としては『攀縁』『にま』が挙げられる。
当書籍もまた"自己責任系"の側面を持つ物語であり、いかにも梨氏らしい作品だと感じられる。

しかし恐怖の多寡以上に印象的だったのは、インターネット文化の援用に対する遠慮の無さだ。HTMLサイト、匿名掲示板、有害画像、薬物、自己暗示。電子コミュニティに直接的に参加して来なかった私のような人間には、懐かしさに浸ることは難しいが、確かに"知っている"ものだ。物語の中で触れることは滅多に無いモチーフが、筆者から読者への呪いの形で並べられるのは、とても奇妙な感覚を覚える。

その奇妙さが恐怖に先立った感覚は否めない。馴染みのある文化、馴染みのない文化。純粋な欲望の文化と悪意の文化、それらを統合的に、呪いとして語ろうとするのだから、歪さがみられるのは当然だ。その歪さを恐ろしいと感じるかは、感性に拠るところが大きいと思われるが。

終盤次のような件がある:

みんな誰かが始めるのを待ってはいたんでしょうけど、実在する誰かを当て嵌め始めたんですよ。

p 177

画面の向こうの誰かに向けられた呪いを、見知った誰かに向けて転用し、呪いの拡大を招いたという文脈だ。
このような思考がありうることは頭では理解できるが、これが語られる程にありふれた事象とは思えない自分がいる。私のような内向的な人間にとって、憎悪は分かち合うものでも押し付けるものでもない(それを本人にぶつける方がまだ理解できる)。ここでも、奇妙さは恐怖に先立つ。

*

時々ホラーに類するものを摂取したいと思うことはあるが、根本的に恐怖に対する欲求が薄いのだろうな、と思う。
人並に恐怖を認識する感性は備わっているはずだが、背後の幽霊の存在を恐れる時の感情は、心地よいものとは言い難い。苛立たしいとまでは行かないが、少なくとも珍重するものではない。

現実において死を過剰に恐れる傾向があるというのに、フィクションにタナトフォビアを刺激されても困るだけだ。

それでもホラーに類するものを求めるのは、描画の中でしかありえない美しさが見たいからだろうか。視覚的な美しさに限らず、重たい感情の動きや、文脈の積み重ね。恐怖を織り交ぜるからこそ、美しさが際立つものは幾らでもある。そう考えると、恐怖を与えるのことを至上の目的とする作品にこれらを期待するのは酷かもしれない。

結局、恐怖によって自身を定義するジャンル作品よりも、恐怖を一要素として内包する別の自我を持った作品を求めているのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?