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月に何を見る?

和歌では月は女性に例えられると。

今日は中秋の名月にあたるので、公任集にある寛和元年(985年)八月十日の歌合の歌でも。

花山院の御歌合のやうなる事をせさせたまひけるに、月を、御(花山院)
秋の夜の月に心もあくがれて雲居にものをおもふ比(ころ)かな
右にて(公任)
いつも見る月ぞと思ふに秋の夜はいかなる影をそふる成らん

新日本古典文学大系平安私家集

寛和元年なので、まだ花山院は天皇ですね。

八月十日なので、まだ中秋の名月ではありませんが。

「御歌合のやうなる事」とあるのは、即席の歌会だったからでしょう。
この頃の本格的な歌合なら、会場を豪華にし、ごちそうや管弦も用意しなければなりません。

翌年の六月にも花山天皇は小さな歌会を催しています。

開けなかったのか、あえて質素にしたのか。考えてしまいますが、今回は言及せずに。

さて、花山天皇が出家した契機と言われている忯子の死は七月でした。
宮中から月を眺めると、亡くなった忯子を思い出すこともあったのでしょうか。

公任は、いつも見る月と同じなのに、中秋の名月はどうして趣深く見えるのだろうと詠んでいます。
先の解釈を加えるなら、「女御様のことが思い起こされて、今年はより一層…」という含みがあるのでしょうか。


不思議と月が出ていると、ついしみじみと見てしまいます。

そう言いつつも今夜は月見団子にしようか、月餅にしようか、”月”より団子です(笑)

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