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ボロンとは

 鈴木大拙の『日本的霊性』が日本の実家にあったのを持ってきて、ここ数日読んでいたのだが、これってあのことか? みたいな推測ばかりが続き、距離感を感じていたところに、さらなる距離感。

 30日にNHKで「日本人と天皇」という番組があったんですか? 水島弘明という方のネット記事で知ったのだけど(記事の趣旨とは違う話になるけど)、同サイトに貼られていた番組のものらしい画像に「天皇と神と仏を一体にするサンスクリット語の呪文」としてボロンという音が紹介されていた。まず文字が未知。これはどこの文字だろう? 現在一般的にサンスクリット表記に使われているのはデーヴァーナーガリーだが、これではない。なんとなくオームの文字に似てなくもないが、同じではない。

シッタン文字?(漢字に変換されないのでカナで)

 それはそれでいいとしましょう。それでも、カタカナで表記されていた「ボロン」という音も、サンスクリットでは母音のOに短母音はないので、ボーローが短くなっただけかもしれない、また最後にンが来るのも、mをンにしたのかもしれないと考えるのだけれど、そのあたりで思いつく単語はなくて、これってサンスクリット語なの? と根本的な疑問が生まれる。もとはサンスクリットだったかもしれないけど、変遷を経ていると思われる.……。もうちょっと調べてみるけれど。
 ちなみに、インドでサンスクリットを学んでいて、呪文、という概念が登場したことは一度もない。言葉の一つ一つにすべて、きちんと意味がある。

 言葉や思想がインドから大陸を渡って、日本にいたるまでにいろいろあったと思う。で、変わっていくのはしょうがないと思うのだけど、それをオリジナルのものについていた同じ言葉をつけて、たとえばサンスクリットって割り切ってしまうのはいかがなものでしょう。

 鎌倉時代なら難しくても、令和の時代なら簡単に調べられる。オリジナルな根拠を確かめる作業はあっていいのでは? サンスクリットに限らず、仏教にしても、霊性にしても、同じ言葉の間にかなりの距離感を感じることがよくある。

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