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それはさながら野鳥観察 (ソロディズニーした話)

つい先日、ふと思い立ってひとりディズニーシーをキメてきた。

ひとりディズニーってぇやつをやってみたいなとは、半年くらい前から思っていた。で、次に行くときは、原宿さんがありスパでもオモコロチャンネルでも紹介してたソアリンに乗ろうと決めていた。去年の終わり頃に年間のチケット価格を見て「1、2月が安いのかぁ〜なるほど〜〜」と思ってそのまま忘れていた。

そして、ふと思い出した。
ここ数日、自分の仕事がだいぶ暇だった。業務時間を持て余すほどに。チーム内でヘルプの要請もなく。
さらに、仕事に臨むモチベーションが上がらなかった。
果てに、年度末なので、有休を使う気持ちがでっかくなっていた。
おまけで平日のうちに御徒町界隈に行って受け取らなければならない(実際のところ足を運べなければ配達してもらえるので、必須ではなかった。でも足を運べば配達より数日早く手に入る)ものがあった。

そんな風にタイミングと気持ちがぴったり合致して、前日午後に翌日午後の休みを手配し、チケットも手配した。まさか今はオール電子とは。チケットも混雑具合もお土産もすべてアプリからどうにかする。俺がさして変わらぬ日々を過ごしていた7年でディズニーリゾートは革新を遂げていた。
今はアフター6チケットじゃなくて、ウィークナイトチケットというんですね。17時から入れる。

何もかもがわからなすぎて前日の23時過ぎに本屋でガイドを買ったけど、結局全然目を通さなかった。

ディズニーシー、約7年ぶり。
あれ、ランドは最後に行ったのいつだろう。大学の時に行ったのはどっちだ。もしあれがランドじゃなかったら、ランドはたぶん15年近く行っていない。
京葉線は実は前週にも乗ったばかり。舞浜を通過して木更津へ行ったのだけど、それもあって舞浜なんてすぐ行けんじゃん、と認識が更新されていた。

舞浜駅へ着く。
「イクスピアリ」が広がっている。
鉤括弧つきなのは、それくらい自分の中で他人な存在だから。これが人の世のイクスピアリなるものか、みたいな。なんだろう…方向感覚とか、自分が今どこにいるとか、そういう感覚に疎すぎて、「舞浜駅」「イクスピアリ」「ディズニーリゾートライン」の境界を認識していなかった。誰かと一緒だと意識が人間にいってしまう上に他力本願で目的地に着けてしまうのだと思う。ひとりの今回、ようやくそれらの境目を認識することができた。
もっとも、「D」のリゾートに向かうものにとっては、舞浜駅から「D」のようなものだけれど。

16:40頃に入場列に並ぶ。学生が多い。シーズンだね。趣があらぁ。
目の前はシニアに片足突っ込んだくらいのご夫婦的な男女。めちゃくちゃはしゃいでいる。電子チケットに感心するおばさまのほう。17時へのカウントダウンをはじめるおじさまのほう。遠方から来たのだろうか。すごいなあ、夢と魔法の世界なんだなあと、あらためて思う。
生まれも育ちも関東、大学進学から23区内に住んでいて、Dなんて行こうと思えばいつでも行ける場所だった。けれど自分はもともとテーマパークとかにあまり興味がない方なので、よほどのタイミング、ノリ、メンバーが揃わない限り自分から来たいと思ったことがなかった。最近とにかく生き急ぎ気味というか、行動欲や購買欲がパンパンに膨れあがっているので今回ソロDという行動に出たけど、当然こんなカジュアルに来られる人ばかりではなくて、老いも若きも、首都圏外に住む人たち、何週間も前から予定を調整して、天気を憂いて、その年の指折りの思い出になる、みたいな人たちがいるんだということを、当たり前ながらまざまざと理解した。
こう実感できるのも、ソロDゆえに透明な者として他者を観察できるからこそだ。

17時、前に並ぶおじさまのカウントダウンとともに入場、いわゆる「イン」する。
まっすぐソアリンのあるエリアへ。よかった、迷わなかった(まじめに)。

もはや閉園までこの景色を臨みながら黄昏るだけで過ごせそうな気がする

ソアリンの待機列は150分。センターオブジアースの火山の麓まで列をなしていた。

桜が咲き始めている

並びはじめてまもない頃の空(と桜)。

並んでいる間、ずっと高瀬隼子さんの『犬のかたちをしているもの』を読んでいた。おかげさまでこの日のうちに読破できた。Dまで来て読書かいと思わなくもないが、イヤホンを差して音楽聴いたりYouTube観たりするよりはパークの世界観を感じられているし、多忙な現代人、何もしないのはもったいない。
こういうTo doが捗るのも良い、ソロD。

並んでいるうちに暗くなってきた。この前買ったばかりの携帯読書灯が大活躍する。

前に並んでいるのは多分、高校生の4人組。私服だけど、大学生じゃなくて高校生だと分かるのは、アジア人だけが日中韓の人種を見分けることができるのと似ている気がする。ちなみに4人組は男2女2の構成。ひぇ〜〜青春。ヒェ〜〜〜。
いや知らん、知らんよ実際のところどういう関係か(そりゃそう)。でもホラこう一般論に当てはめて考えた時に、付き合っている2組の男女のダブルデートなのか ?それとももう少しで付き合いそうや2組なのか?片方だけ出来上がってるカップルか?あるいは、この中で矢印が交錯していたりするのか??……とかとかとか。ソロだと頭が暇なので、他人様に対してそういうキモいことを考える余裕がある。でもこれだってDでしか浴びれない類の青さだ。浴びさせてくれ。青春のアロマを浴びさせてくれよ。

あと、今の高校生はルーズソックス履いてるって本当なんだ。

ようやくソアリンの建物手前まで来た。

松。

ぇ…建物の前の植物、松? という驚きが大きい。

その後も『犬のかたちをしているもの』のまさに生理痛のような「嫌さ」と前の4人組の「青さ」の交互浴をしながら列は進む。

建物内に入った。
ここから先ってあんまり言語化しない方が良いのか?どうなんだ?
とりあえず、ライド直前の部屋でカメリア・ファルコが降臨して我々にコンセプト等を色々説明してくれるのだけど、その現れ方が謎技術で、去った後に聴衆から「ワァ……!」と歓声が上がっていたことは書き残しておきたい。この話を報告した友人(Dオタ)曰く、学生が多かったからだろう、とのこと。たしかに最新技術だけど、大人は歓声上げるほど感激できないもんな…。そういうのも含めて、大人に「なっちまった」んだなあ。

で、肝心のソアリンは、ウ〜ン、ウーンまぁ、普通に良かった。USJのハリポタの空飛ぶやつの雄大な自然と歴史版だ。視覚だけじゃないのはすごかったな。左右知らない人に囲まれながらも声出して驚いたし、拍手もしちゃった。…んだけど、原宿さんの解説を事前に情報として持っていたせいで、かえって先入観と期待が膨張していた節があったかもしれない。
「ライドに至るまでの内装でものすごく感慨に浸ることになる」というのも、人の浸った話を聞いてしまった後だと、それを踏まえて追体験するのは難しいなと感じた。

ソアリンを出たら、もうしっかり夜。ていうか閉園1時間前。水上&プロジェクションマッピングのショーが始まっていた。
いまさらしっかり観る場所も見つけられないので、あてどなく歩き出しながら自然に入ってくる範囲の音と光を楽しんだ。
アナ雪はそれなりに好きだけど、そこまで強い思い入れを抱いたこともなければ(文化論的にDの作品の傾向の変遷とかを考えるのは好き)D作品を隈なくチェックしているわけでもない、そんな自分でもなんとなく感極まりかけそうになる、それがショー。
夜空、爆音の音楽、眩く連続する光。こうしたもののポテンシャルが最大限発揮されている。

↑ショーも終わって閉園秒読みのとき(往生際悪く「海底2万マイル」に乗って、外に出た時の写真)。
シンプルに綺麗だ。やっぱり景色を見ているだけでも過ごせそう。
なお、出場ゲート手前のお土産店?売店?スーベニアショップ?なんか専門的な言い方がある?は、まだまだ全然人が押し合いへし合いしていた。そうか、そんな感じなんだっけ。誰かと一緒のときはきっと相手に遠慮する(しあう)気持ちとかもあって、21時手前には出口に向かっていた(※あるべき姿)んだろうな。

ただでさえ注意力がなくていろんなことに気付けずに歩いている人間なのに、誰かと一緒だとそれに輪がかかる(人と一緒にいるとある意味相手に甘えられるので難を逃れている気がする)。
今回も単独行動の中で間違いなく無意識下で非効率的な行動をとっていたのだろうとは思うけど、代わりに透明人間として周囲に意識を傾けることができた。
駅とモールとパークの境目。Dの前ではおじさまおばさまも大層無邪気にはしゃぐこと。令和の女子高生は本当にルーズソックスを履いてること。学生に限らずみんな少なからず無理してそうな薄着なこと。暇を持て余すと令和の学生も「いっせーの、1」みたいなゲームをやり出すこと。それが方言で繰り広げられるとマジで何が起こっているのか分からないこと。

楽しみ方は悪趣味なのかもしれないけど、全部ソロDだから気付けたなと思う。ソロDとは野鳥観察のようなものかもしれない。

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