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眠れぬ夜のnote

こんばんは。眠い。けど眠れない。頭痛がするくらい眠いけど消灯して無を演出するとたちまち心がザワザワする、そんなナチュラルな眠れぬ夜、Podcastを更新してもまだ眠れないし、久しぶりにnoteを書いてみることにしよう。

銀河鉄道の夜、終わり。編集のため自分でも久しぶりに聴いたので、こんなこと話してたんだっけと新鮮だった。ジョバンニ・カンパネルラはもちろん、賢治と保坂(と仮定)の関係もひっくるめてこの角度で解釈していくと、『輪るピングドラム』の晶馬と冠葉の関係性にも新しい見え方というか、いやBLって言いたいんじゃなくて(それもあるけど)新しい味わい深さを得られそうな予感がした。と、編集しながら思った。のはらさんがピンドラ知らないことなど構わずくしゃみか何かのようにピンドラを挟む私、なんなんだ。
とりあえず次回は洞窟音質になりませんよう。

noteどれくらい離れてたんだろう。2ヶ月くらい?もっと?
そんなはずないわ。軟骨ピアス開けたこと書いたもん。思い出した。まだ1ヶ月ちょいしか経ってないね。
その間に何をしていたかな。
何かしてたっていうので思い返してみると、出版社の面接受けたりしてた。軟骨ピアスの前だけど。二次で落ちたり、それによって「やっぱ知財勉強した方が良いのかな」って思ったりして、それでまずはビジ著の本買ってみたりして。本当に受けるならそろそろちゃんと勉強始めないとだな。
と同時にルセラちゃんに本格的に(?)ハマったから、韓国語もできるようになりて〜と思ってしまい、やることが増えている。いや厳密の厳密に言えば、ルセラ熱けーぽ熱、1ヶ月前よりは落ちてるけど。その分の熱はいまはダイエットにあるかも。けーぽアイドル見過ぎた結果とパーソナルカラー&骨格診断(ビビッドウィンター•骨格ナチュラルだった)を受けた結果の複合技で、ダイエットと美容に関心が傾いている。
でも韓国語もそりゃやる気は残ってますよ。やる気。やる気なのかこれは。どちらかというと矜持のような気もする。本気を出した私は目標を達成できる人間だ、と、自分に思わせたいのだろうな。ビジ著受けようかなとか、すぐそうやって試験事に意識が向くのもその証左のように思う。

私は会社で少人数で稼動するチームに入っていて、リーダーが今度しばらく休職することになったので、これからたぶん、結構忙しくなる気配がしてる。
だから転職活動なんてしてる場合じゃないんだろうな〜なんて思って軟骨も開けたし、仕事以外のことをそんなに考えることもないか〜と思えばこそ、ビジ著も仕事中空き時間ができない限りはやらないことに決めて(※関連の職場なので空き時間に勉強するならあり(だと思うことにしている))帰宅したらYouTubeでルセラを観たり韓国語やろうなんて思ってたのだけど、月の満ち欠けとか色々そういうアレもあるのか、ふと不安になったりもして、さっき求人情報見てた。
給与下がっても今の業種業界から一転して好きなものに携わりたい、と思っていた夏だったはずだけど、今の仕事内容と重なって年収が上がる望みがあるのはどんな求人だろう、なんて思って検索して、社労士の独学について調べてる秋の入り口。いや、わかってんだ取るなら社労士でダブルライセンスですよねってのは。知ってた。でも社労士の勉強する苦労って色んなことを投げ出さなきゃいけない苦労だと思ってる。肌感覚。私は社労士のために休日を潰したいか?その苦痛をどうせ味わうならいっそ弁理士とか勉強した方が将来的に良い景色が見えるんじゃないか?いや、ゴタゴタ考えずに思いついたまま素直に順番に行けばいいのか?まずは11月までビジ著を勉強して?いや、それもあり。そうやってひとつずつ潰していくっていう。それも人生だよね。漢検1級もいつか取りたいね。TOEIC950もね。

勉強の話ばっかりかい。昔取った杵柄って厄介だ。成功体験他にないんか、矜持を持てるものは他にないんか。

あー。
それも人生。

あ、あと短編小説的なものを書いて、コンテストっぽいものに応募したりもしてみた。 
↑的なもの、ぽいものという表現に滲み出る照れと自過剰感。男子小学生かよ。
オモコロ杯も出せればな〜とは思っていたけど(これもできれば小説仕立てで)、在原業平に思うところある業平の身内が在原業平になりきってブログを書く、それをさらに語り部である人間がブログにする、というオモ?オ、オモ?それオモロ??という何がしたいのか曖昧な構造しか思いつかなかった上にディテールを全く練ることがなかったので、自分のパッションもその程度なのだと諦めて見送った。
つくづく、自分は「どんどんネタが出てくる」という人種じゃないんだなと思う。感じたことを言葉にするのは好きだけど、発想力はない。
原宿さんが以前言っていたように単純にインプットの量が足りてないとか、割けるリソースが足りてないとかいうこともあるかもしれない。でもじゃあ自分が今から「物書き」になるために生活や感性の全てをチューニングできるかというと、できないよな、と思うしかない。カフカのような人もいるけど、私はお堅く理性的な仕事をしながら頭と感性だけ文学の世界に没入させる器用さと気力を持ち合わせていない。その上に上述のようにアイデンティティの維持のためにグラグラしている。
図らずもこれから送る予定の短編と似たようなことを書いているぞ。これから送る予定のやつ、あ とある本を読んだ後に書いたのだけど、我ながら、直前に触れたものの影響ば〜っかり!と半ば呆れている。もっとも、原動力はワナビーで良いし、音楽も絵画も模倣から始まるわけで、だからこそインプットが大事なのだろうけど。もっともっと、息つく暇なくインプットを重ねていけば、色んな模倣がぐちゃぐちゃのないまぜになって、なにやらオリジナルのもののようになったり、するのだろうか。

眠れるのだろうか。

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