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場所について思うこと

沖縄出身だと言うと、「いいところで羨ましい」「いい場所で生まれ育ったのに、 どうしてこっちに出てきたの」などと言われることが多い。

故郷が褒められるのは嬉しい。でも、その度に違和感を抱いてきた。

エメラルドグリーンのリゾートビーチ、人はやさしく、まいにち歌って踊って…

いつの間にかどんどん観光地としての土地のイメージは広がっていく。悪いことじゃないし、みんなのなかにそれだけ定着していくのはすごいことだと思う。

わたしが住んでいた土地と、観光地として作られていく土地がどんどん、乖離していく。

では、わたしにとって沖縄という場所はどういうところなんだろう。

浮かんできたのは、祖母の家のテーブル。大きくて、茶色い食べ物がたくさん載って、みんなでその食卓を囲む。

母方の祖母は、戦争孤児だった。家族でフィリピンに疎開したけれど、戦争でみんな亡くなり、ただ一人残った祖母は沖縄に戻った。引き取られた親戚の家で乱暴され、逃げ、ストリートチルドレンに。そこからはどうやって生きてきたのかもよく覚えていないらしい。祖父とどこで出会ったのか聞いたら「平和通りかねえー」と言っていたけど、それ以上は教えてもらえなかった。話したくないだけなのかもしれない。

祖母は6人の子どもを産み、その子どもからわたしが産まれた。
ただいま、祖父と祖母の子孫は39名。それぞれの配偶者なども合わせると50名近くの大家族になる。ひとりだった祖母にとって、家族を持つことは、いちばん大事なことだったのかもしれない。

子どもをそれだけ抱えながら、戦後を生き抜いてきたのは、ちょっと想像に絶する。大きな食卓を囲みながら、普段聞けないお酒が進んだ大人の話を聞くのが、子どもながらに好きだった。

寒い日に布団の中で身を寄せ合いながら、祖父が基地から買ってきたチョコレートを兄弟でかじったこと、夫婦喧嘩の末、数ヶ月祖母が家出していたこと、祖父がやっていた整備工場の車を中学生だった叔父が持ち出して大破させたこと…山ほどのエピソードを笑いながら聞いているけど、きっと本当に、壮絶だったんだろうなあと思う。

人がこれだけ多いと、当然いろんなところで問題が起こる。家族のことで気を揉んだりすることもあるけれど、でもやっぱり、折々でみんなで食卓を囲んで、わたしたちは家族になってきた。寂しがりやで、お節介な、わたしの家族。

きれいなだけじゃないけど、そんな、たくさんの大変なことを、必死で乗り越え、命を繋いできた。わたしにとっての沖縄は、そんな場所だ。


一人暮らしをはじめてまもなくしてから、そして夫と息子と三人暮らしのいまも、うちには人がよくやってくる。

いっしょにテーブルを囲んで、わいわいと笑ったり、その横でしっぽりとみんなの話を聞きながら飲んだり、ソファーでいつの間にかいびきをかいていたり。みんなにとって、居心地のいい場所であれたら嬉しい。

いつか、約束しなくたって、みんながふらっと訪れられる場所をつくれたらと思う。

島の文化とアメリカの文化が混じった茶色くて美味しいごはんを大きなテーブルで囲んで、眠くなったらそのまま泊まれるようにベッドやシャワーがあってもいい。夏は、綺麗なリゾートビーチじゃなくていいから、子どものときのように海を見ながらみんなで食べたり飲んだりできたら最高だ。

洗練された綺麗さだけじゃなく、わたしが感じてきたいいものを、みんなで囲えるような場所。

いま、世界じゅうが大変なことになって、場所のあり方は多様化していると思う。リモートワーク、オンライン飲み会、ライブ配信。でもやっぱり、人は集える場所を求めていることを強く感じる。

いつになるかわからないいつか、またみんなで食卓を囲める日を信じて、淡い想いを馳せている。

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