なっかん

京都で日本史を学んでいます 現在3回生

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最近の記事

歴史教育と歴史学 続き

3月を迎え、成績発表も終わって大学生活も折り返しを迎えるころになったが、受験の話をする。 本来は1月末に書こうと思っていたが、受験指導と研究で時間が取れなかったためにこんな時期になっている。 8月に追記、結局、半年以上の時間が過ぎてレポートからの逃避行の果てにこの文章を見つけて文章を推敲している。忙しいんでしょうね 前回書いた歴史教育と歴史学で話題に挙げた、共通テストの問題で考えさせられた出題があったため、共有しておきたいと思い文字を打っている。 良ければ問題を確認しなが

    • 歴史教育と歴史学

      年が明け、教え子たちの受験も近づいてくる1月の中旬。毎年、この季節になると行われる国公立大学の1次試験。共通テストに関連する話題を記述しておこうと思う。 と言っても、思考の掃きだめのようなものなので小見出しなどは割愛しようと思う。 タイトルにもある歴史教育とは、大学以前の教育機関で学習する歴史教育のことを指し、私の言葉で呼ぶと「覚える日本史」と呼んでいるものである。 この教育方法は単純にアンチが多い。「日本史は丸暗記ではない!流れで覚えよう!」と言うように、否定されがちであ

      • 何故、日本史を学ぶのか

        身の回りの雑務も終わり、レポート期間までのモラトリアムが与えられたので、今回は既に一度言及した私が高校時代に大学で日本史を学ぼうと思った理由について述べていきたい。それに加えて、何故、日本史を学ぶのかという問いにも回答を示していきたいと考えている。 今回は比較的堅苦しい内容にはならないように自身の経験を振り返るという方法で叙述していく。 何故、日本史を学ぶのかという問い 振り返りに入る前に、この問いを何故今問うのかという質問に回答しておこうと思う。その理由はたった1つ、

        • 日本史における教科書

          前回の文章が思った以上に読まれていて次に何を書くか迷っていたが、大学での授業中にふと思ったこの題材について書いていこうと思う。 前回に続いて今回の文章の題材で察しがついた方もいるかもしれないが、今回も堅苦しい内容となっていることは許してほしい 教科書的理解とは まず、内容に入る前にこの質問について考えてみてほしい。「教科書的理解という言葉についてあなたはどのようなイメージを抱きますか?」 教科書的理解という言葉を辞書的に定義づけるならば「各科目に対して教科書に書いてある

        歴史教育と歴史学 続き

          何故学ぶのか

          初投稿がこんな重い話題で良いのかと思いながら文字を打っている。本来なら自己紹介であるとかやりたいことを書くべきなのだろうが、最近思うところが多々あったためお付き合い願いたい。 役に立たないものは必要ない… 最近、三角関数不要論というものが唱えられているらしい(実情は三角比と三角関数を混同しているお粗末なものだが)。受験生時代なら入試範囲が狭まると喜んだことだろうが、残念なことにその理論の根幹は実学重視と称して学問の幅を狭めようとする行為の一環のように見える。 そういえば、

          何故学ぶのか