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何故、日本史を学ぶのか

身の回りの雑務も終わり、レポート期間までのモラトリアムが与えられたので、今回は既に一度言及した私が高校時代に大学で日本史を学ぼうと思った理由について述べていきたい。それに加えて、何故、日本史を学ぶのかという問いにも回答を示していきたいと考えている。

今回は比較的堅苦しい内容にはならないように自身の経験を振り返るという方法で叙述していく。


何故、日本史を学ぶのかという問い

振り返りに入る前に、この問いを何故今問うのかという質問に回答しておこうと思う。その理由はたった1つ、自身で再認識しておきたいと感じたから。それだけである。

とは言っても私以外にも大学で専攻している学問を何のためにやっているんだろうという人は多いと思う。それは、専攻している学問に対して真摯であろうという姿勢の表れだから良いことではあるが、放置すると精神衛生上良くはない。

以上のような個人的理由でこの文章を書いていることを了承してほしい。そのため、導く回答も個人的な歴史観を強く反映したものになっていることを冒頭にて示しておく。

日本史学習の原点

さて、私が日本史に興味を持つようになったのは間違いなく父の影響があるだろう。きっかけは小学4年の春、夕飯の際に父が録画の消費のために流していた「歴史秘話ヒストリア」の姫路城の回を見てからだったと記憶している。親に連れられて嫌々行った姫路城の建物はこんな考えの下で築城されていたのかと興味を惹かれた。
その年の夏に母の実家である熊本の熊本城に父と二人で行き、ガイドさんに看板には乗ってない色々な説明を聴いてからは一瞬だった。元々読書好きなのも高じて本を買い集めていくうちに戦国時代が大好きな男の子が出来上がっていた。

このころの私は知らない知識に飢えている状態だったと思うし、調べた話をして喜ぶ父を見るのが嬉しかったのだと思う。実際、大学に入ってから出会った人の多くが日本史が好きな理由を「新しい知識が知れるから」と述べており、誰もが通る道を私も歩んでいたのだろう。確かに、中学校に入っても高校に入っても日本史の授業はとても楽しみであり、楽しかった。
しかし、現在の私が戦国時代を専攻しようとしているかと聞かれたら答えはNOだろう。この転換は高校1年生の夏に訪れる。


日本史研究の原点

さて、高校1年生の夏に何を経験したのかと言えば、祖父母の戦争体験を聴いたことである。具体的な話は省略するが、私が感じた感覚としては「教科書の記述でしかなかった歴史事象が目の前に現れた感覚」だった。

祖母が機銃掃射を受けた田んぼや、祖母の家の柱に残っている弾痕など毎年帰省していたはずの家にも戦争の跡は残っていた。

この事実を見た際に私はこれまでの自身の歴史認識はどこか他人事で小説を読むような、文学を読むような感覚で捉えており、実際の人々が経験してきた物事の積み重ねとは捉えていなかったのだと実感した。私の良く知る祖母にも、私が教科書でしか知らない戦争の経験はあり、それを見てこなかったのは自分自身だったと実感した。

この夏以降、私は歴史に対してのイメージを改めることになり、教科書の内容を考える際に何故こんなことをしたんだろうと当事者の気分で読み、疑問を抱いていくこととなった。
これが、高校教科書を批判的に読むきっかけになっていたんだなと過去を思い出しながら感じた。

実際、私はこの姿勢で教科書を読むようになってからは日本史の先生とも歴史認識について話せるようになったため、自身で歴史像を構築するという歴史の楽しみ方を覚えた。



日本史研究 第2の原点

話は何度か言及していた予備校時代へ到達するが、この期間での私はあまり賢くない高校出身という経験もあって「知性」というものに飢えており、賢くなりたいと常に考えていた記憶がある。
そのこともあって、予備校時代は知識を収集する楽しみを得ながらも、レベルの高い塾生と各々の歴史観を語るという贅沢な学習環境にあったと今は思う。

そんな中で予備校時代の日本史科の恩師2人との出会いは教員となって自身の日本史学習を伝えていくことしか考えていなかった私に大学院進学を視野に入れたという点で私の原点だと思う。今では大学院進学の方が私の進路希望になっている。

予備校時代に得た知見は数えきれないが、ここでは、恩師から受け継いだスタンスとそこから導いたタイトルにもある日本史を学ぶ意義について述べて纏めということにしたい。


何故、日本史を学ぶのか

予備校時代に恩師から受けた言葉で次のようなものがある。

すべての歴史は「現代史」である

ベネティット・クローチェ

これは、イタリア人の歴史家であるベネティット・クローチェの言葉であるが、私の歴史観はこの一言に凝縮されていると言っても過言ではない。

この言葉について解説を加えると、全ての歴史叙述において、歴史事象というものは書き手である歴史家によって選択されたものであり、どのような文脈(ストーリー)で描くかはその歴史家次第となる。

そして、その歴史家の選択とは当人の問題意識から行われるが、その問題意識とは歴史家が生きる「現代」によって生み出される。この点から全ての歴史は「現代史」だとしている考え方である。

実際、著名な歴史学者の石母田正や網野善彦の著作はあの時代であったからこそ、考え生まれたのだろうし、戦後歴史学の学者たちが必死になって「国家とは何か」という問いに向かって思索を巡らせたのは彼らが生きた戦後という「現代」あってこそだろう。

更にこの理論は、野家啓一の訴える歴史の物語論とも共通する点がある。この話をしだすと長くなってしまうので割愛するが、野家のいう物語論は歴史記述は完全な主観であり、文学と同等だとは言っておらず、ある出来事は単独で歴史的意味を持つことはできず、その後に起こった別の出来事と関連付けられて初めて歴史的意味を獲得すると言う。
その関連付けの時間的コンテクストを用意するのが物語行為だとここでは説明しておく。

私の言葉で言い換えるならば、どのような歴史的文脈にその歴史事象を置くかは自身の歴史観に影響されるということである。この点で言えば、やはり当人が歴史をどう捉え、描き出すかによって変化するため、冒頭のクローチェとの言葉にも整合性が取れる。

もう1つ付け加えるならば、私は歴史叙述において完全な客観的記述=平等な記述は不可能だと考えている。日本史で大学院に行きたいと考えている人間がこんなことを言うのも変な話だが、歴史叙述に客観性は担保できないだろう。これについては別の機会に述べることにする。

さて、これらを念頭に置いたうえで、何故歴史を学ぶのかという問いの答えを述べると「現代での視野を広げると共に過去の視野も広げることが出来るから」だと考えている。

難しい話をした割には浅いオチで残念に思っているかもしれないが、過去を学べば現在の視野が広がり(現在起こっている事象の原因を歴史的に考察できるようになる)、現在の視野が広がれば過去への問題意識が広がるという構造で永遠に循環していく。

この循環自体がE・H・カーの述べている「歴史は、現在と過去との絶え間ない会話である」という言葉を導いたものであると理解できれば私の思想は十分に伝わっていると思う。


まとめ

以上、前半は私個人の振り返り、後半は歴史哲学の話と結局堅苦しい話じゃないかとお叱りの言葉を貰いそうだが、許してほしい。

最後のまとめにはならないだろうが、予備校の恩師の話を出したことであるし、折角なので私の座右の銘にもしている恩師から送られた言葉を書いて締めにしたい。(本当にこの言葉を予備校時代の私にかけてくれた恩師の生徒を見る眼は本物だと贔屓目なしにそう思う)

「偽りの賢もまた賢なり、賢が尊いのに等しく賢たらんとすることもまた尊い」
徒然草の一節であり、今でも私の学習意欲の原動力となっている言葉である。

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