見出し画像

歴史教育と歴史学 続き

3月を迎え、成績発表も終わって大学生活も折り返しを迎えるころになったが、受験の話をする。
本来は1月末に書こうと思っていたが、受験指導と研究で時間が取れなかったためにこんな時期になっている。

8月に追記、結局、半年以上の時間が過ぎてレポートからの逃避行の果てにこの文章を見つけて文章を推敲している。忙しいんでしょうね

前回書いた歴史教育と歴史学で話題に挙げた、共通テストの問題で考えさせられた出題があったため、共有しておきたいと思い文字を打っている。
良ければ問題を確認しながら読むと私と同じ感覚を味わってもらえると思う。

私が取り上げたい問題は、共通テスト2023の日本史B、回答番号14番の問題である。他にも16番など取り上げたい問題は数多くあるが、今回は的を絞っておくことにする。

この問題を見た私の最初の感想は「良い問題だな。ただ、難しいんじゃない?」だった。この記事を読むぐらいの人であるから、問題を目にして何か思ったはずだが、私が関心を持つのは、肯定したのか、否定したのか、その理由である。

実際、この問題はTwitter上では多少炎上もしていたし、生徒の受験生からも「これは流石に悪問だろ」と不思議な言葉を頂いたりもした。
仕事ではあれ、大学入試の問題解いてる大学生の方がよっぽど気味が悪い存在であるが、反応は多種多様であった。

ただ、史学科の学生はこの問題を面白いと感じなければ、転学した方が良いのでは?と思った。と言うのも、この問題は歴史学(中でも文献史学)の営みを端的に示したものだからだ。

この問題の肝は、「永楽通宝を始めとした輸入銭が中世日本では使用されていた」という日本史の学習を行えば、半ば当然の知識を史料によって否定されたことで、自身の見解を変えることが出来たのか、という点だろう。形式で言うならば、東京大学の二次試験に近い出題である。

この「自分が持っている既存の知識を史料によって否定されることで自身の見解を変える」この部分が歴史学の営みそのものであろう。もっと言うならば、学部1回生で行うべきことだろう。

以下、8月に追記

それにこのような出題が、多くの受験生が受験する共通テストで出題されたという点はあまりにも大きな意義を持つのだろうなと個人的には感じている。先述した通り、このような既存の知識を揺さぶる出題は、東京大学が得意としている出題である。(後は、東京学芸大学ぐらいかな)

私は、これまで日本史を暗記科目だと主張していた受験期や大学の同級生に対して「私立大学式の勉強しかしていないんだろうな」と認識していた。実際、東進の一問一答(紫のやつ)では歴史用語の難易度が☆で表記されている。史学科に入学すると、歴史用語を言えばその用語の☆の数を得意げに暗記している日本史が「得意」な同級生も存在していた。

しかし、彼のような受験日本史の「被害者」たちに責任を強いるのは誤りだろうなとも感じる。やはり上位の大学(国立大学)で日本史を受験しない限り、論理的思考を用いて日本史の勉強を行うよりも単純暗記で乗り切る方が楽だという現状はある。上位の大学を受験した人間が日本史を暗記で乗り切れないと実感する瞬間は、論述試験の際に現れる。
この際に、既存の知識を揺さぶられる瞬間は、大なり小なり論述試験の際に現れる。この経験を通じて論理的思考を勉強の軸に変更するという過程が発生する。

話を戻すと、このような知識を揺さぶる出題は、上位の大学でしか経験できなかった体験であるが、去年度の共通テストはその体験を多くの受験生に体験させたという点では、暗記日本史を脱却するための大きな一歩を踏み出したと評価しても良いんじゃないかと個人的には思う。

ただ、このような出題を連続して行うことは非常に難しいことも私は知っている。日本史の作問を行った人間だけにしか分からないことだが、このような知識を揺さぶる出題は、作問が非常に難しい。
その点で言うならば、恩師2人と私が評価した通り、出題者たちによるじり貧の戦いが継続するんだろうなと思っている。

個人的には「1度やったんだから、これからも無くすなよ」というのが本音かな。このような歴史教育の現場と歴史学の境界を近付けようとする試みを否定するような教師にはなりたくないなと感じている。
また、別の記事でも記述するが、このような出題が継続していけば、毎年春に現れる「史学科の被害者」の数が減少するのだろうなと希望が持てる出題だなと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?