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青信号が3つ続くみたいな幸せがたくさんありますように

「いちばんしあわせになってほしい」
友人から送られてきたメッセージを見て、
わたしは電車の中で泣きそうになった。


遠い街で必死に看護師として働いている友人のことを思い出す。
その友人とは高校の同級生で、3年間同じクラスだった。高校ではたまに絡む程度だったけど、卒業してわたしが上京、彼女が地方へ転居してからかなり仲良くなったと思う。不思議だよね。毎日顔を合わせていたクラスメイトの頃よりも、離れてからのほうが深い話をするようになった。
高校の頃はクラスや進学コース、受けている授業が被っていたりと共通点も多く、徐々に仲良くなっていった。
大学生になってから、たまに電話やインスタのDMでメッセージのやりとりをした。他愛ない話もたくさんした。互いの恋愛の話を何時間も電話で語り合ったこともあった。好きなひとができるたびに応援し合った。長く言葉を綴るというよりは簡潔なやりとりで、その簡潔さがわたしにはとても心地よかった。飾らない自分で話すことができる気がした。

大学を卒業してからそれぞれがそれぞれの地で就職した。インスタの裏垢のストーリーではお互いが仕事の辛さを吐露した。互いにがんばろうと鼓舞しあいあった。別々の土地で別々の仕事をしながら、同じような苦しさややるせなさを抱えて頑張っている友人がいるという事実は、それだけでわたしを励ました。
わたしが当時仕事でセクハラされていることを知った時は、それでも平気な自分を演じていたわたしに対して、代わりに怒ってくれた。それがわたしにはうれしかった。
就職して1年と少しが経った頃、わたしは体調を崩し、坂を転げ落ちるように退職してあっという間に無職になった。
当時は恥ずかしい気持ちや多くの期待を裏切った自分が悔しくてほとんど誰にも言えずにいた。それでも気持ちの整理が少しずつついてきた頃、彼女に少しふざけた調子でなにも傷ついていないようなそぶりで退職して無職になった旨を報告した。
そしたら、「めっちゃがんばったやん!!!!!!!」そんなふうに言ってくれたのがうれしかった。当初わたしの心配をしてくれていた家族からは一方でわたしにも非があったというような態度をとられることもあって自己嫌悪に陥っていたこともあって、その時のわたしには痛いほど友人の言葉が沁みた。
ありがとう、ありがとうと心の底から思った。

それからしばらくして転職し、転職先での生活も2週間になろうとした頃、インスタでストーリーをあげた時。
その友人からメッセージが届いた。
「しあわせになってくれ」
「いちばんしあわせになってほしい」
メッセージを見た瞬間すごく嬉しくて泣きそうになった。でも、幸せ=愛する人に愛されること、だと思っていたわたしは、素直に受け止められず
「いつか素敵な人に出会ってしあわせになりたいわね」
と送った。半分やけくそみたいな気持ちだったかもしれない。だれにも愛されない自分は幸せになれないと思った。
わたしはつくづくついてないところがある。人間関係において、はずれみたいな場所に配属されてはずれみたいな上司にあたって身体を壊す、とか。はずれみたいな男に惹かれて、身も心も壊れるとか。はずれみたいな先生に当たって心を壊すとか。必ずしもそういうわけではないにしても、そういうことが多かった。素敵な人に出会うってなんだよ、と思った。前に友達に、〇〇は前世でなにかやらかしたレベルで人生の困難多すぎない?と言われた。いや、ほんとうにね、それわたしも思うよ、友人から見てもそうってよっぽどじゃんね。
ぐるぐる考えていると返信がきた。

「彼氏ができるとかじゃなくて、ただ幸せになってほしい」

わたし、電車で泣いちゃった。
ひたすらありがとう、って思った。
こんなに素敵な友人がいるじゃん、ならもういっかあとすら思えてしまった。

自分の幸せを祈ってくれるひとがいるのって心強いね、こんな友人に小さな幸せがとめどなく降り注いでほしいなと思う。日常に小さな幸せが散りばめられれば、それだけで生きる希望になると思うから。
たとえば、街中でかわいい犬といっぱいすれ違うとか、電車の乗り換えがうまくいって一本早い電車に乗れるとか、車を運転している時に青信号が3つ続いて止まることなく前に進み続けられるとか。そういう小さな幸せがたくさん、あのこに降り注ぎますように。今度一緒にドライブでも行きたいね。


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