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置かれた場所で咲けなかったら、咲ける場所まで飛んでやる

退職・転職するまでいろんなことがあった。
だれかの参考になれば、なんて想いで記すわけではないけど、この時のあれこれを備忘録代わりに。

退職すると決意するまで

退職すると決めたのは突然だった。
当時セクハラとパワハラでメンタルと体調を崩していたわたしは、ある日突然「もう、むりだ」と張り詰めていた糸が切れた。金曜日の夕方、オフィスで教育担当の先輩に冗談みたいな雰囲気でセクハラの相談をしたつもりが、話しているうちに涙が溢れて止まらなくなった。見かねた先輩がわたしを別室に連れ出してくれて、そこですべてを話した。先輩を動揺させてしまった罪悪感がすごくて、最後までわたしはへらへらと笑いながら泣いていた。その時点でわたしは「メンタルクリニックでも行こうかと思うくらいです」なんて笑いながら言っていた。その日はそれで終わった。それが、わたしが会社に出社した最終日になった。

家に帰ってから、やっぱりいまの精神状態は普通ではないと思った。何でもないのに泣いていることも多く、朝起きて、仕事をしながら、移動しながら、先輩と話しながら、帰りながら、寝る前に、泣くことが多くなった。ご飯はどんどん食べられなくなった。夜も眠れなくなった。体に蕁麻疹ができた。
次の休日にわたしはメンタルクリニックの予約を入れた。メンタルクリニックを調べてわかったのは、口コミがよいクリニックはどこも数週間、もしくは数ヶ月前から予約を入れなければならないということ。様々な地域のメンタルクリニックを調べ、幸いにも直前でも予約を入れられるクリニックを見つけてそのクリニックへ向かった。

初めてのメンタルクリニックは緊張の連続だった。
休日の街を笑顔で歩く人々を横目に、雑居ビルに入っていく自分はこの世界の異物だと思った。

張り詰めた受付の空気の中で、静かに自分の順番を待った。自分の目の前を通る人々を見ながら、このひとも精神を病んでいるのか、とか思ったりしながら自分はここにいるひとたちにどう思われているんだろう、と思った。
そうこうしているうちに名前が呼ばれて、診察室に入室した。初めての診察ということで、カウンセリングのような質問から始まった。泣かないぞ、と思っていたのに一つひとつを話していくうちに嗚咽して、涙が止まらなくなった。見かねた先生がティッシュを勧めてくれた。診察で言われたのは「クリニックではなく、法的な対処をすべき」ということ。これはわたしと同じようにセクハラやパワハラで精神を病んでしまったひとに必ず伝えていることらしい。けれど、明確な証拠を掴み切れていなかったわたしは訴えることは難しいと踏んでおり、今回は症状の治療を優先したいと依頼した。その日はフラッシュバックを抑える薬を処方されて次の予約を取って終わった。診察の結果は抑うつ症状で、ひとまず1ヶ月〜3ヶ月の休職をするよう医師から伝えられた。

その日の夜、これまでのことを両親に話し、休職する旨を相談しようと決意した。
両親に電話で連絡した時、もう最初から泣いてしまった。どうすることもできなかった自分への不甲斐なさや理不尽への悔しさ、両親への申し訳なさが溢れて溢れて止まらなかった。電話で相談した結果、休職してまで会社にしがみつく必要はないという結論に至り、月末で退職することにした。

退職すると伝えた日

前日の夜から心配した友人が家に泊まってくれて、退職届の提出までを見守ってくれるとそばにいてくれた。本当に感謝してもしきれない。
退職届を提出するまでで考えていたプランとしては
上長に電話で退職の旨伝える→人事に退職届提出
でもこの単純なプランがあれよあれよと難しくこんがらがっていくことになる。。
まず朝、会社の下まで行って上長に電話するつもりだったが、一日中会議らしくこのプランはNGになった。早く退職届を提出したかったわたしはもう直接人事に退職届を提出するかと人事のいるフロアに向かった。震える手を抑えながらフロアに降り、人事部長に退職届を渡そうとしたら、受け取りを拒否された。理由はふたつ。
①上長の許可をもらっていないから
②提出用のフォーマットと異なるフォーマットだから
わたしは絶句した。いや、たぶんこれは退職あるあるなんだと思うんだけど、こんな時でさえフォーマットやら形式やらに縛られて定型的な対応しかできない人事にも腹が立った。わたしは悔しさ半分怒り半分で書き直して持ってきますと言ってその場を離れた。その後、コンビニで正しいフォーマットで編集し直した退職届をプリントアウトしている時、上長から電話があった。
「人事から話は聞きました。外でいいから、詳しい話を聞かせてくれない?」わたしは頷く他なかった。

上長と近くのカフェで面談をした。1時間ほど話し、わたしはまたしてもカフェで号泣をかましてしまったが、そこで話はまとまり、退職届は後日郵送で構わないこと、PCなどの備品は後日会社とは別の場所で手渡しするということにまとまった。
ことの経緯を全部話したわけではない。でもそのときに「もっと早く相談してほしかった」と言われた。相談できない環境にしたのはこの会社であり、あの上司だろ、と思った。相談なんてしたところで動いてくれやしないことなんて目に見えてる。
そのあと、待たせていた友人のもとへ戻り、一緒にサイゼリヤに行った。当時ご飯をうまく食べられていなかったけど、友人といると幾分か食べられた。社用携帯には先輩や上司から何件も不在着信が入っていた。わたしはどれにも出なかった。

退職するまでの有休消化期間

退職するまでの有休消化期間は、しばらく実家に帰っていた。図書館に毎日通って、本をゆっくり読むだけで終わる一日は働いていた頃と比べ物にならないくらい時間がゆっくりと進むようだった。
両親が腫れ物に触れるみたいに接するのは胸が痛んだ。時にはわたしにも非があったかのように言われることもあり、気持ちが落ちてしまうことも多かった。しばらく実家に帰った後、自宅に戻り退職や引っ越しの準備を粛々と進めた。
退職の直前、PCなどの備品を上長に返した際、上長がひとつの手紙を差し出した。それは、わたしにセクハラしていた上司からの手紙だった。わたしは受け取って近くの公園で一度だけ読んで、破り捨てた。家にそんな汚れたもの持って帰りたくなかった。内容は本当に気持ち悪くて吐くかと思った。一生許さないと思った。都合が悪くなったら手を離す、知らない顔をする、人のせいにする、そんな奴ばかりの社会で搾取されている自分が悔しくてたまらなかった。

退職・転職してから

退職してから、メンタルクリニックには行っていない。わたしはあれから転職活動を経験し、転職先で働き始めて2ヶ月が経つ。仕事はまだまだできないことばかりわからないことばかりだけど、憧れていた仕事ができていること、適切な指導をしてくれる社長や上司のもとで働けていることは幸せだと感じる。理不尽に怒鳴られることやセクハラされることもなく、自分の時間を大切にできている実感もある。不安でいっぱいだったが、退職してよかったといまは思う。

わたしは「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がすきではない。だって、不公平や理不尽をすべて受け入れてまで場所にこだわる理由はない。
「置かれた場所で咲けなかったら、咲ける場所まで飛んでいきなさい」のほうが強そうでいい。種なら風で飛べるから。わたしは選んで、すきな場所で咲きたい。

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