言語で思考する?
NAKです。私はものすごく言語に支配されているタイプなんだろうなと。考えるときはいつも言語で。脳内で喋っている感じです。言語なしで思考するなんて無理。自分がこんななので、誰しも思考には言語が伴うものだと思い込んできました。ところがそうではないらしい。
そういう人は感覚的に思考するそうで、私の妹がまさにそのタイプ。その感覚がどういうものなのか、私にはさっぱり想像ができないのだけれど、なんだかとっても羨ましい。
仕事で発達障がい児と関わることがあるのですが、彼らの中には思考を言語化するのが苦手なタイプの子がいます。思考していることは伝わってくる。ただ、その感覚を言語化するのにどの単語を使い、どのような文脈で表現すればよいのかがわからない様子。
光たちには言語がありません。私が日々、光たちとぺちゃくちゃお喋りを楽しめるのは、ひーちゃんたちが私にわかるよう、私の脳内にある語彙や日本語の扱いを習得してくれているからです。光同士であれば言語は不必要。意識だけでコミュニケーションが取れる。それは言語に支配されている私に比べると、とても自由で伸びやかに見えます。
この1年半、ひーちゃんたちは言語に縛られがちな私を少しずつほぐしていってくれました。始終脳内に言葉が溢れていた以前に比べ、言葉のない時間が持てるようになったことは本当にありがたい。脳が疲れにくくなり、よく眠れるようになりました。仕事柄大切にしたいと考えている表現力も、知識に偏りすぎず感性に直結した伸びやかなものとなってきているようです。
言語化できることは、人間社会においてとても優位で便利なことだけれど、過ぎると脳と心がカチンコチンに固まってしまい、窮屈で魂が苦しむのかもしれないですね。
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