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谷川俊太郎

こんにちは。NAKです。

谷川俊太郎さんの詩に
「かなしみ」という詩があります。
この詩に出会ったのは、
14、5歳だったでしょうか。

かなしみ
あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

読んだとき、
これは私だと思いました。

10代の頃すでに、
私は自分から何か大切なものが
失われているのを感じていて。

このままでは
生きる屍だと思っていました。
自分がなくなってしまう前に、
自分を守らなければと、
もがいていた時代。

あのとき私が
必死に守ろうとしていたものは
何だったのか?

今ならわかる気がします。
私という魂で
生きることだったのだろうと。

あの頃、
私の魂は、私の内の
ずっと奥底に追いやられていて、
浮き上がれずに
いまにも窒息しそうだった。

くるしくて
くるしくて
くるしくて

だから、この詩を読んだとき、
もう手遅れなのかもしれないと、
ものすごく落ち込んで
ものすごく哀しくて。

自分の魂を守るために
逃げ出したとき、
私はすでに
たくさんのかけらになっていて、

バラバラに散った自分の
かけら全部を拾うことなんて
到底無理だろうと思いながら
10年以上かけて拾い集めました。

拾っているうちに、
新しいかけらが自分の一部になって
失ったかけらの哀しみを
そのかけらが埋めてくれて。

魂というものは
失ったと思っても、
必ず自らの奥底にあるもので、
落とすこともなくすこともなく、
いつも自分の内に在るものなのですね。

バラバラになったかけらは、
魂ではなく、心。

この体という乗り物を
乗りこなしていくのは
とても大変なこと。

私はその修理に
ものすごい時間を
費やしてきてしまいました。

でも、そのおかげで
今はとても乗り心地がいい。
心をメンテナンスして、
魂を自由に保つ。

透明な過去の駅は、
今の私で
染められていくもの。


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