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第20話 マスコミ、国民世論は司法を変えられるか?

法曹界から日本の司法を変えることはほぼ絶望的だが。それでは、外部からではどうか? まずは、国民世論、マスコミを考察してみる。

これまでも話してきた通り、日本の不条理な司法システムを支えてるのは、国民感情である。いったん、事件が起これば、「検察が起訴したのだから有罪は間違えない。」「黙秘なんて反省していない、厳罰にしろ。」そのような、推定無罪無視の完全に感情だけの声が盛り上がる。

それでも、裁判官がそんな国民世論を無視し、冷静な判断をすればよいが、実に日本の裁判官は世論に弱い。そこで、有罪バイアスが働き、冤罪を生み易い状況になる。

はっきり言って、日本国民が、推定無罪や黙秘権など、現代司法の精神を理解しているとは到底思えない。国民感情は、未だ中世のそれで、水戸黄門や大岡越前、太陽にほえろの取り調べシーンを見て育ってきたのである。

しかし、それ以上に問題なのは、国民のほとんどが司法に関しては無関心であるということだ。みな司法なんて、自分には関係ないと思っているのである。

また、司法に関しては国民は完全に無知である。逮捕が懲罰だと思っているし、裁判所が懲罰機関だと思っている。それに日本の取り調べがどんなに過酷なものか現実を知らない。

そんな国民が、今の日本の司法システムに危機を感じ、改革しようなどとは、微塵も感じないだろう。

しかし、国民のこのような感情、無知、無関心を責めるわけにはいかない。国民なんてこんなものだ。国民だって忙しいのである。仕事もしなければならないし、子育てもしなければならない。国の様々な問題にすべて関心を持ったり、知識を得ることは不可能だし、その必要もない。

だからこそ、マスコミやメディアが重要なのである。国民に正しい知識を与え、正しく誘導する。

ところがである。国民よりさらにレベルが低いのがマスコミである。マスコミは国民に迎合し、国民の間違った感情をさらに増幅する。

いったん、事件が起こると、マスコミは完全の検察の応援団である。検察が出す一方的な情報を垂れ流し、被告がこんな悪い奴だという世論を形成する。

さらに、それを増幅をするのは、ネットやワイドショーなどのコメンテーターである。

それでも、マスコミやメディアは冤罪が発覚しても犯人視報道を謝らない。それどころか、悪いのは警察や検察にして、絶対に自分たちは悪くないと、しらを切る。この極悪ぶりはどんな犯罪者より最低だ。

「堀 潤」という馬鹿なジャーナリストがいる。彼は、以前、#検察庁法改正反対に関連し、「検察の暴走を止めるのはだれか」という問いに対して、「それはマスコミだ」と答えた。

いままで、マスコミが検察の暴走を止めたことが一度でもあるのか。完全に検察と一体化ではないか。現実にあり得ないことを議論の前提にし、そもそもマスコミなど民間団体を、国の統治システムの一部に組み込む自体がおかしな発想である。こんなバカがメディアで偉そうなことを言っている。

マスコミのレベルなんてこんなものである。とても日本の司法システムを変える原動力にはなりえない。



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