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集金で新聞代を払う両親

離れて暮らす両親は今も昔と変わらず同じ新聞を定期購読している。
そして月々の支払いは、配達員さんの集金に委ねている。

「え、まだ集金で払ってんの?」

「うん、払ってる」

「せめて口座振替にせえへんの?」

「うん、せえへん」


集金に来てくれるのは徒歩のおばちゃん。
同じ住宅地に住む近所のおばちゃん。
ただのおばちゃんじゃない。
5人の男の子を育て上げた、「パワフル母ちゃん」の愛称が相応しいおばちゃん。

数学の教員だった父は定年退職後、自宅で近所の子を集めて数学教室を開いた。集金のおばちゃんの息子5人とも、父の数学教室に中学の3年間通ってきてくれた。

だからというわけではないだろうけど、縁あって、新聞の支払いは集金で続けている。

そのおばちゃんとの縁が始まる前はどうだったのかというと、別のおばちゃんが集金に来ていた。僕の小学校の同級生のお母さんが集金のおばちゃんだった。夕刊の配達も兼ねていた。徒歩。



両親は決してデジタルに順応しているタイプではないし先進的というわけではないし、ましてやアーリーアダプターやアーリーマジョリティではないかも知れない。でも物質主義的なとこからは離れていて、それなりに足るを知ってつつましくかつ合理的に、豊かに暮らしていると思っている。

両親が新聞を取るのを辞めずに、かつ集金で支払いを続けているのは、決して古典的な世界観に拘泥した結果ではなく、むしろ能動的に選択した結果なんだろうなと思う。

そういう両親の姿は僕の理想とするところと重なり、好意的に捉えている。