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べつに完成してなくてもいい

最近ちょこっと料理をする。
食材宅配サービス「ヨシケイさん」のおかげだ。
料理ポンコツの僕でも7割のクオリティで仕上げられる。
ヨシケイさんすごい。


そこで見出しの写真。
ヨシケイさんで作っている写真とお思いだろう。


違う。
ヨシケイさんの食材による料理写真ではない。
たまたま余っていた食材で僕が何となくで作ったもやし豚炒めの写真だ。
ヨシケイさんの話をするならヨシケイさんの写真を出したらいいのに、
ヨシケイさんの料理写真が無かったから、
たまたま撮っていた自分の料理写真を出している。


そしてよく見てほしい。
もやし豚炒めはまだ完成していない。
せっかく写真を出すのだから完成品を出したらいいのに、
途中の写真を出している。

まだシャキシャキのもやしを乗せただけの状態。
まだシナっとしていない。
このあと塩コショウを振って炒める。
ちょこっとウェイパー(味覇)も加えてみる。
中華風味で美味しくなるだろう。
料理ポンコツが最近覚えたテクニックだ。
初心者は覚えたテクニックを使い回したいものだ。


つまりは
まだ途中だ。工程の途中。
結局なぜか完成品の写真は無い。


今日言いたいことは
「べつに完成してなくてもいい」
ということ。
料理だけの話ではない。何事もそうだと思う。


整った状態も、もちろんいい。
しっかり準備して、見栄えを整えて、人に見てもらうために仕上げる。
完成品から、そこにかけた時間や努力に思いを馳せて、人は感動する。

一方で
途中経過は見逃されがち。
多くの身の回りの製品やモノや出来事の途中経過は
ほとんど知らないことが多い。

香港のスター ジャッキー・チェンさんの映画のエンドロールには
必ずメイキングが流れていた。

メイキングが見えることで、
「本番で神業を魅せてくれるジャッキーも、失敗はするんだな」
とわかる。親近感。


完成品は感動するが、
メイキング(途中経過)は親近感がわく。

7、8割の出来が良かったりする。
余白がある方が議論が活気付いたりする
抜けている方がツッコミどころだったりする。
天然の方がいじられ愛されやすかったりする。

完成品を見せることが全てではない。
ヨシケイさんの写真が準備されていなくても、
準備した写真が完成品じゃなくても
中山泰地に親近感がわく。
きっとわく。

べつに完成してなくてもいい。


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