昔取った杵柄
昔取った杵柄
過去に身に付けた技術が年を経てもまだ衰えていないという意味。
いい意味で使われる。
イメージは、熟練の技術者が「まだまだ衰えちゃいないよ」と誇りを持って仕事している状態。技能を維持し続けている。素晴らしいことだ。
しかし僕の場合、使い方はやや後ろ向きだ。
「昔取った杵柄だけで仕事している」
技術は維持し続けているけれど、それだけ。
それだけだ。
同じ技術は熟練していくけど、新しい技術が身に付いている感じがしない。何でかな…?
"人生100年時代"では、生まれてから20年やそこらまでに身に付けた知識・技術だけで残りの人生を走り抜けるのは無理ゲーだ。
同じ技術を丁寧に研ぎ澄まし極めることだけで過ごせる時代ではない。
長い人生を走り続けるには新しい栄養を取り込む給水ポイントがもう1,2か所必要だ。
昔取った杵柄"だけ"ではダメなんだろうな…
勉強するのは子ども時代だけではない。一生勉強だと思っている。
"大人の教養"とよく聞くけど、そこに必死さは感じられない。
お紅茶飲んで脚組んで読書している絵が浮かぶ。
ある程度の自由度は残したいけど、お紅茶飲んで脚組んでする読書で終わらせずに、必勝ハチマキを巻いて暗がりで夜なべして勉強する蛍雪の功のような必死さがあってもいいと思う。
生きるための知識・技術を何か身に付けようと思う。
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