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やった事実を感謝される

人から感謝して頂くことはある。有難い。
有難いことに、僕でも人から感謝して頂けることはある。

「~して頂いて、ありがとうございます」

いえいえ、そんなこと言って頂いて、こちらこそありがとうございます。



何の変哲もないやりとり。
しかしどうだ?
これが普通だ。これが普通なんだけど、
「~して頂いて、ありがとうございます」
僕はやった事実に対して感謝して頂いている。
内容に関しては触れられない。


別に何も悪いことはないし、僕も結果、感謝して頂いている。
何も悪くない。しかし、
僕は内容の評価は避けられることが多い。

内容はビミョーだからだ。
質がパッとしないからだ。

ただ。
ただしだ。

僕はそれなりの量とそれなりのレスポンスの速さでそれなりのニーズに応える。それなりにきっちりやる。
だから

「~して頂いて、ありがとうございます」

感謝して頂ける。
内容がエクセレントじゃなくても、やった事実に対して感謝して頂ける。

感謝して頂ける言葉の中には、しっかりその感謝の内訳が含まれている。
やっぱり僕は、どう転んでも、センスで何とかするタイプではないのだ。そこは自覚して生きていくべきだ。

そして僕自身、内容に触れられるのを恐れているフシがあるから、
「この件に関しては内容どうこうじゃないでしょ。それよりも概要が分かることが大事であって、それがわからないと次に進められないから、質よりまず仕上げる事でしょ」と言わんばかりの態度で、
それなりにきっちりやる。

内容に自信を持っていないことが多いから、初めから突かれる隙を作らまいとするのだろう。これはある程度自覚してやってる。

でも本当はよ?
隙を作っておく方が議論が深まって内容も発展的になるし、
何より、もっと好かれやすい人になるんやろうな。

別にそれなりにきっちりやらなくてもいいから、好かれやすい人ではありたいな。そしてさ、内容にちょっとは触れられるようにもなりたいな。


既に感謝して頂けてるのにな。
欲深いな。


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