『SLAM DUNK』は誰が語ってもいい

「THE FIRST SLAM DUNK」の公開で『SLAM DUNK』(以下、スラムダンク)がにわかに注目されたと思う。

「にわかに」と言うと語弊がある。スラムダンクはこの30年、一度も下火になっていない。一発屋でもなければ再ブレイク・再ブレイクの繰り返しでもない。脈々と生き続けている。現在進行形の歴史的な作品だと思っている。

それでも「にわかに」としたのは、やはり映画公開の影響が急峻な人気の押し上げに貢献したと感じるからだ。『週刊少年ジャンプ』で毎週買って読んでいたファン、少し遅れて「ジャンプ・コミックス」で31巻まで集めたファン、アニメだけ観ていたファン、「愛蔵版」を揃えたファン。みんな同じファンだ。それぞれの日常を送りながら心の中にはスラムダンクのパイを必ず持っている。決して忘れることはないけれど、30年の時間は伊達ではない。ヒト一人が生まれ子を持つまでの時間だ。その間色々あるから、30年間休まずスラムダンク中心の生活を送っている人はいない。折に触れて思い出すセリフ。「なんか俺上手くなってきた」「通過点じゃねーか」「おめーらバスケかぶれの常識は通用しねえ」。心の中にスラムダンクのパイがあるだけで僕らはいつも勇気付けられた。映画は着火剤となり、初めて作品に触れた時の興奮が甦る。

そんなスラムダンクへの熱量を持っていなかった、初めての人にも響く映画の内容。「何か分からないけど凄かったんだろうな」と思わせるだけの、スクリーンから醸し出される雰囲気とエネルギー。一緒に観に行ったスラムダンクをよく知る友達の興奮する様を見て、内的にも外的にもスラムダンクの凄さを感じている人がいる。誰もがそれぞれにスラムダンクとの関わり方があり、関わり方は自由だ。

今さら僕なんかが言うことでもないんだけど、スラムダンクは一部の熱狂的ファンに支えられている作品ではない。週刊少年マンガの枠をはるかに超えて認知されている。大衆的と言ってしまうと安く聞こえるかも知れないけど、エンタメとして有無を言わせぬ存在になったんじゃないかと僕は思っている。ファンの期待を裏切らない高い質を保ったまま、誰でも手を伸ばして楽しめる存在でいてくれている。

だから、批評家だけのものではない。
みんな語りたい。熱く語りたい。
「古今東西、スラムダンクのセリフ、イェーイ」
とかやりたい。


長年のファンであろうと映画以降のファンであろうと、
『SLAM DUNK』は誰が語ってもいいんじゃないかと思った。


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