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10-3万人の自分にバトンを渡す

一年前の自分は全くの別人だなぁと思ったことがある人は多いのではないだろうか。
今日紹介したい僕の妄想は、「自分他人説」である。

人の中の状態はその時々で全く違う。
告白して振られた日と、飲み会でゲロった日の自分は全くの別人だろう。
こうやって例をあげながら妄想を深めていくと昨日の自分と今日の自分は同一なのか?にたどり着く。
私は色々考えた結果、似たような日常を生きていても日にちが違えば自分は別物になると考える。なぜ一日かというと、日常の連続性は睡眠によって中断されるからだ。だから睡眠を跨いだ何かを毎日渡していかないと目標を見失い、未来の自分は明確な「何」をすればいいかわからなくなってやる気をなくしてしまう。

記憶があるから同一人物じゃないか、という反論はたしかにある。ただそれはコーヒーマシンを職場の皆と共有しているのと同じように、記憶を自分が共有しているだけ、と考えられないだろうか?記憶というクラウドにアクセスしている赤の他人の自分。自分は同一時刻に二人存在できないから同じかどうかは証明できないが、その時々の状況によって怒りっぽかったり、絶望していたり、希望に満ちていたり、同じようでいて全く違う。それは全部自分であって他人である。あくまで感覚を共有してる他人。一番近い他人。

だからこそ私達は明日の自分へ、生きる道標を示さなければいけない。それが目標であり、人生の目的のように感じる。だから未来に何をするか明確にしたスケジュール管理がいい人生には必須であり、未来の自分のためにまとまって作業できる時間を割くことは必要最低限の礼儀というものではないだろうか?人生は30000日(約82年)あるらしい。つまり私達は3万人のチームで活動しており、その人生という活動で明確になにかを残そうとしない限りはアウトプットは望めない。今この瞬間にこの事実を妄想できて、本当に良かったと感じている。昨日の自分より少し大人になった気がした。私も日々の自分は別人だと思って、明日の自分に親切になれるようバトンを渡す努力をしていきたい。また報告します。

ドラえもんの話で「ドラえもんだらけ」っていうのがあるが、この話が可視化されたものでイメージを膨らますのにわかりやすい。
↓以下の記事も似たようなことを言っている。


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