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「目的」が「原因」と「結果」を取り違えさせる

先ほど、なんとなく蹲起を始めたら、なんとなく100回やってしまった。

蹲起100回をこんなになんとなくできてしまうとは、自分でも驚いている。

「原因」と「結果」を取り違えないことが大事だ。

一言で言えば「腰に居る」ことが「原因」に当たる。

「腰」というと位置を勘違いする人もいるので、敢えて「尻」と言ったほうが誤解がないかもしれない。

「腰に居る」という「原因」によって「蹲起100回」という「結果」が生じる。

ここで「蹲起100回」を「目的」にしてしまうと、仮にそれが達成できても、「腰に居る」という一番肝心な要訣を見失っている可能性がある。
それだと本質に迫れない。

「目的」を設定することによって「原因」と「結果」を取り違える、という錯誤がしばしば生じる。

例えば、武術の稽古ではよく「肩を降ろして」「リラックスして」と指導される。
ところがこう聞いた方は、「肩を降ろす」「リラックスする」を「目的化」してしまう。

そうするとそこに焦点が当たってしまい、一番肝心な「原因」に迫れない可能性が高くなる。

肩が上がる、リラックスできない、こうした場合も、概ね「原因」は「腰に居る」ことができてない故である。
だから指導する側は「腰に居よ。手足に居てはならない」と、「原因の側から指導する」必要がある。

極論すると、武術に「目的」はない。
敢えて言えば「より良く生き抜く」のが目的だ😊

「中間目標」の設定が、指導上効果的なこともある。
しかし指導する側としては、「中間目標」はあくまでも「方便」であることを必ず含み置き、門下生を「原因」のほうに向かわせる指導をしていく必要がある。

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