中妻穣太:板橋武研

中妻穣太と申します。noteでは「板橋武研」での稽古の振り返りや、中国武術を中心とした…

中妻穣太:板橋武研

中妻穣太と申します。noteでは「板橋武研」での稽古の振り返りや、中国武術を中心とした武術についての考察を書き記していきたいと考えています。板橋区議会議員としての活動については: https://nakatsuma.jp

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  • 林崎新夢想流居合

    板橋武研の研究の中でも、特に「林崎新夢想龍居合」に関する研究の紹介です。

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「立つ・座る」の研究(林崎新夢想流居合のミッシングリンク1)

では林崎新夢想流居合における「ミッシングリンク」を埋める「ピース」を提案していきたい。 (教伝されたものをただ紹介することはしない。それはぜひ、弘前稽古会か埼玉稽古会で学んでいただきたい) まず私が「今すぐ解決しなければならない」と感じたのは「立ち・座り」の問題である。 林崎新夢想流居合の最初のハードルは「ひたすら立つ・しゃがむを繰り返すことになる」という点だ。 そのため、小山隆秀先生も「林崎は疲れるもの」と認識しており、同道した指導者も、数回「押立(一本目)」をやっただ

    • 仙台稽古会終了! 林崎新夢想流居合・卜伝流剣術

      2日間に渡る、小山隆秀先生主催の林崎新夢想流居合・卜伝流剣術仙台稽古会終了。 あまりに多くの「宝」をいただいた。 小山先生、および指導者の皆様に心より感謝申し上げたい。 また、埼玉稽古会に出席したご縁により、さらなるご縁を預かる形ともなった。 武縁こそ最も得難き宝である。 今回得られた「宝」についての記事をさっそく書いていきたいのはやまやまだが、これがもうあまりに多すぎて、noteの記事5〜6本で済むかどうかというくらいである。 導入として、林崎新夢想流居合の現状と、

      • 日本剣術の最重要要訣「浮き」

        「浮き」という言葉。 甲野善紀先生はよくおっしゃる。 「浮き」とは何か。 これは、日本剣術の最重要要訣のひとつだ。 刀を主とし、刀に従う。 こうすると、自分の存在が薄くなり、身体が軽くなる。 この状態を「浮きがかかった状態」と呼ぶ。 私はいくつかの日本剣術流派の指導を受けたが、共通しているのは「浮き」だ。 流派の指導として「浮き」という言葉を使うとは限らないが、自ずと「浮き」を使う形となっている。 例えば先日紹介したオリジナル練功法「兎突」だが、これも「浮き」を使って

        • ホワイドンチュードゥ林崎新夢想流居合!

          本日の林崎新夢想流居合埼玉稽古会終了。 私が稽古した向身はまだ5本目だが、今日は右身5本を稽古した。 なるほど、三尺三寸とは刀であると同時に、杖であり、槍であり、さらに鞘も使える万能武器というわけだ。 林崎は本当にいい! 激推しである。 本日はたまたまだが、山形で庄内藩伝の林崎をやっていたという方が見学に来た。 埼玉稽古会のやっている弘前藩伝とは細部が異なるものの、その方の動きは明らかにかなり稽古を積んだ風格で、私も勉強させていただいた。 ただその方曰く、自分の地元で

        「立つ・座る」の研究(林崎新夢想流居合のミッシングリンク1)

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        記事

          行こう。「しんどくない世界」へ

          武術の稽古をする上で 「しんどいか、しんどくないか」 という判断基準は、いいかもしれない。 王向斎の言葉 「一用力便是錯(少しでも力を使ったら間違いである)」 は、こう言い換えることもできる。 「少しでもしんどければ間違いである」。 見よ、この王向斎のめっちゃ楽しそうな顔を😊 ただし、「しんどい世界」に向き合わなければ「しんどくない世界」には行けない。 「しんどい」と感じるということは、そこが「際」であるということだ。 稽古をしてない状態では、「際」を観ていな

          行こう。「しんどくない世界」へ

          「十路弾腿がしんどくない世界」に行かなければならない

          弾腿は間違いなくおすすめできる。 中国北派武術をやってて迷ったら、ここに戻ればよい。 最初はしんどい。 十路弾腿を通してやるなどとてもできない…と昔は思ったものだ。 しかし、これを「しんどくなくやれる」ようになる必要があるのだ。 これは、自分の中で「転換」が起こらないと、どれだけ繰り返しても「しんどくない世界」には行けない。 とにかく繰り返していればいずれできるようになる、という考えは、間違いである。 ここにもっと早く気づきたかったものだ…と私も痛感する。 「転換

          「十路弾腿がしんどくない世界」に行かなければならない

          身体と数字: 「2の世界」と「3の世界」

          「10」という数は扱いづらい。 2のべき乗数じゃないからだ。 身体は、基本的には1、そして2のべき乗数が馴染みやすい。 太極拳的に言えば「太極→両儀→四象→八卦」と展開するので、これに沿っていたほうが身体に馴染む。 体育やスポーツでも「1,2,3,4,5,6,7,8。2,2,3,4,5,6,7,8」と数を数えることが多い。 スクワットでも正拳突きでも、「8」で折り返すのと「10」で折り返すのを比べれば、「8」で折り返したほうがやりやすい。 人間社会で十進法が定着したの

          身体と数字: 「2の世界」と「3の世界」

          どう考えても、武器を稽古するほうが上達が早い

          やはり、どう考えても武器を稽古するほうが上達が早い。 今の一挙動は正しいか、間違ってるか。 武器を持っていれば、これを武器が教えてくれるのである。 徒手だと、そこがどうしてもわかりにくくなる。 特に初級者では、自分がやっていることが正しいかどうか、自分で感じ取ることは非常に難しい。 八極拳の李書文も、人と武術談義をする際は槍の話ばかりして、徒手の話は全然しなかったと伝わっている。 その気持ちは、今の私は少しわかる。 特に、日本刀のもたらす身体との一体感は驚くべきものが

          どう考えても、武器を稽古するほうが上達が早い

          技法「軍鶏足からの袈裟斬り」

          示現流で用いられる歩法「軍鶏足(しゃもあし)」。 軍鶏足から袈裟斬りを行うと非常に強いので、技法として紹介してみる。 構えは最初は八相だが、二打目からは上段にしている。 こちらのほうが安定して斬れると思う。 ちなみに、示現流とは既に異なるものになっているのでご留意を。 なお、この軍鶏足と中国武術の「虚歩」の関係性も探ってみたが、関係がないこともないかもしれない可能性もなきにしもあらず、程度に終わった。 というより、虚歩のすさまじい難しさを改めて痛感させられた。 中国

          技法「軍鶏足からの袈裟斬り」

          逆境に立ち向かう高齢者を育てる

          鳥山明さんの訃報は、まさにその直撃世代と言える私にも大きなショックだった。 著名人が75歳「後期高齢者」というひとつのハードルを越えられず亡くなるケースについて、医師の富家孝先生が記事を書かれている。 少し意見を異にする。 「努力」ではだめだ。 努力では続かない。 「身体のおもしろさ」「身体の可能性」に気づく必要がある。 私たちは“自衛”する必要がある。 外国が攻めてくるのではない。 日本の社会保障が瓦解に瀕しているのである。 社会制度に頼っていては、生き抜くこと

          逆境に立ち向かう高齢者を育てる

          「うさぎ跳び」復刻! オリジナル練功法「兎突(うさぎつき)」

          スポ根の象徴「うさぎ跳び」。 今やすっかり行われなくなったが、これはそもそもやり方が誤解されているのではないか? …と考え、オリジナル練功法「兎突(うさぎつき)」として復刻を試みた。 これは、日本剣術・日本武術に必要な身体を養うのに大変よい練功法だと思う。 ぜひお試しを! これは、決して足で跳ぶのではない。 刀と身体を一致させ、「肚」を捉え、丹田を十分にする。 すると、突きの「気(機、起)」が起こる。 これに沿い、刀でスッと突き込むと、身体全体が前進する。 慌てて

          「うさぎ跳び」復刻! オリジナル練功法「兎突(うさぎつき)」

          形意拳・劈拳は「劈(切り下ろし)」するのか?

          形意拳の基本、五行拳の「劈拳」は、なぜ「劈拳」と呼ぶのか? 改めて考えると、「劈」(切り下ろす)でも「拳」でもない。 まず、なぜ「劈」と呼ばれるかというと、形意拳が槍の技法から生まれていることに関係している。 動画で、形意槍の「劈勢」を示してみた。 このとき、確かに槍は切り下ろしているので「劈」と呼ぶにふさわしい。 この技法は“槍を持ったとき”に「劈」になるのであって、これが徒手になったとき、手の動きとしては、必ずしも「劈」にならない。 徒手の劈拳を行う際、「劈」

          形意拳・劈拳は「劈(切り下ろし)」するのか?

          死者がネットで生き続ける時代〜プロジェクト「武研門」がめざすもの

          「亡くなった弟の『鉄拳8』のAIゴーストを保存して、弟と対戦を続けられるようにしたい」 というポストに鉄拳8開発者が応えた、というニュース。 いい話だ🥲 であるとともに、考えさせられる話でもある。 「パーマンのコピーロボットは作れるのか?」 という、多くの人々(特に私😅)の念願に関係してくる話なのだ。 このAIゴーストとは、格闘ゲームの中だけに存在する「コピーロボット」と言える。 これは、鉄拳8というデジタルデータの中におけるパーソナルデータなので、可能となるわけ

          死者がネットで生き続ける時代〜プロジェクト「武研門」がめざすもの

          「古武術ボウリング」…ありかも…!?

          次男と親子ボウリング大会に出るため、練習・本番と付き合ったのだが…。 「古武術ボウリング」 あるかもしれんぞこれは…。 不用力。 型の重要性。 道具との関係性、対象との関係性。 「中指・薬指」と「親指」による掴み。 これは誰が見出したのか。 まさにこれだ、という掴み方である。 私が高齢者サロンなどで指導する際は、木刀などの道具を用いることが多い。 こういう「具体的対象物」がないと、初・中級者は「自他の関係性から身体を観る」というところにたどり着かない可能性が高い。

          「古武術ボウリング」…ありかも…!?

          人生を通じて「勝つ」とは何か〜車氏形意拳技法「獅呑手」

          私は車氏形意拳を学んでいないが、形意拳創始者・李洛能の大弟子・車毅斎(写真左)とその高弟・布学寛(写真右)には大いにリスペクトを寄せている。 『武術』2002年春号より各所引用して、この両師が重視した技法「獅呑手」を紹介したい。 「車毅斎は人を傷つけるのをとても嫌がった」 「(獅呑手は)車毅斎が晩年に生み出したひとつの技撃法だ。獅呑手は人を傷つけずに制する技法だ。車毅斎が編み出した獅呑手は技撃の意味も当然あるが、相手にケガさせないための招術でもあったのだ」 この獅呑手を

          人生を通じて「勝つ」とは何か〜車氏形意拳技法「獅呑手」

          八卦掌でグーパンしたっていいじゃない〜レイモンド・カーブリド先生ハワイアン八卦掌講座

          昨日は、光岡英稔先生プロデュース、レイモンド・カーブリド先生によるハワイアン八卦掌講座に参加。 レイモンド先生による八卦掌講座の参加は2回目だが、前回の内容を踏襲・発展しつつ、今まで気づかなかった「革命的転換」により、「ハワイアン八卦掌とは何か」「中国武術とは何か」ひいては「流派とは何か」「文化とは何か」ということを深く考えさせる、またとない価値ある講座となった。 前回のレイモンド先生の講座もnote記事にしています。 こちらも人気記事ですので、ぜひお読みください。 八

          八卦掌でグーパンしたっていいじゃない〜レイモンド・カーブリド先生ハワイアン八卦掌講座