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中妻式心意六合拳教伝(2) またの名を…!

心意六合拳 軽歩站〜踩鶏歩〜鷹捉把

心意六合拳を学ぶ際、まず最初に取り組む基本中の基本形。
しかし、基本こそすべてにして最も妙味が深い。
本日の板橋武研、後半は、ひたすら踩鶏歩をやり込む。

心意六合拳の「十大形」とは、鶏、鷹、鷂(はいたか)、燕、龍、蛇、虎、馬、猴、熊。

この中の第一が「鶏」である。

…なんでニワトリ?

鶏、強いか?
「闘鶏」とかあるけど、明らかに虎とかのほうが強いやん?
そっち先にやったほうがようない?

…という素朴な疑問をぶつけられたことはまだない😅

なぜ鶏なのか。

それは、鶏が「完全二足歩行動物」だからだ。

現生動物の中では、陸上で前足を一切地につけずに、二本足を交互に出して歩く動物は、人間と、鶏のような陸上歩行型鳥類しかいない。

カンガルーは両脚を揃えて進む特殊な例である。ジャンプしないときは両手を地につけ蛙のように進む。

武術は、まず「いかに安定して在るか」を問題にする。

いかに安定して立つか。
いかに安定して歩くか。

安定してなければ、下手すると、自分の出した技でひっくり返ってしまう。
二者が衝突したとき、倒れるのは不安定なほうである。

「安定していること」は、武術においては技以前の基本的条件だ。

「自然」とはいかなるものかを見失った人間が「自然で安定した二足歩行」とは何かを見出そうとしたとき、鶏の在り方とつながるのである。

踩鶏歩の要は、「すべての四肢が稲妻状に曲がっている」点にある。
それも二次元的にではなく、三次元的に。
これにより、どこか一点に負荷が集中することなく、個々の骨・関節はバラバラの方向を向いているにもかかわらず、「ベクトル合成」によって、全身の強力なまとまりを作り出すのである。

これが、踩鶏歩が心意六合拳第一の基本功となっている所以だ。

心意六合拳も形意拳も動物の名を冠した型を持っているが、いずれも、ただの物真似ではない。

「生命の本質的な在り方」にアクセスするため、類型的に動物の名を冠しているのである。

踩鶏歩は、何も鶏になるためにやっているのではない。
「完全二足歩行動物」としてのベストな「在り方」をめざしているのである。

「収斂進化」という概念がある。

まったく別種の生物なのに、同じような生態環境に身を置くと、同じような姿や身体機能を獲得することを指す。
サメとイルカが良い例だ。

完全二足歩行動物である人間は、同じ哺乳類の仲間より、むしろ鶏に身体的共感性がある可能性がある。

つまり、生命の進化とは、必ずしも線形の分岐による系統樹のようなもので説明できるわけではない。

進化の過程で、爬虫類だろうが鳥類だろうが哺乳類だろうが、ある環境で「ベストの在り方」をめざすと、ある種の「理想形」に「収斂」していく。
それは「いつ、どのタイミングからでも起こる」。

そう。
いつ、どのタイミングでも…。

先ほどは、「現生動物では」完全二足歩行動物は人間と鶏のような陸上歩行鳥類しかいない、と書いた。

かつては、いたのだ。他にも。
完全二足歩行動物が…。

そう。こやつだ。 

「史上最強の生物」。

心意六合拳の先人たちは、こやつらを知らなかった。
だから、「完全二足歩行動物の理想形」にアクセスしようとしたとき、「鶏」しか浮かばなかったのではないか?

だが、真のアクセス先は、その鶏の「直系の先祖」であるこやつら。
「恐竜」ではないのか。


人間の進化は、止まっているのか?

そんなはずはない。
生命である以上、人間もここから進化するはずである。
その「在り方」は、あなたの意志によって、いかようにでも在り得るのだ。

中妻式心意六合拳教伝。
a.k.a.「恐竜拳」。

少しずつ紐解いていきますよ😆
乞うご期待!

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