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2種類のランナー

走る人は2種類に分かれるそうです。アソシエーターとディソシエーター。

以前ある記事を読んで共感しました。私自身の解釈も加えて、この2種類のランナーについて書きます。

アソシエーターとディソシエーター

アソシエーター:
走るときに「自分の内面」に集中する人。
「より速く・より長く走る」ために体や心の状態・感触・動きを意識する。
アスリートに多い。

ディソシエーター:
走るときに「自分の外面」に気をそらす人。
音楽を聴いたり、景色を眺めたり。
「苦痛を和らげたい」「退屈さを紛らわしたい」「リフレッシュしたい」
多くの市民ランナーが該当

「トップクラスのアスリートは、たいてい『アソシエーター』であり、つまり走っているとき、自分の内面に集中する傾向があります。その他のランナーの多くは『ディソシエーター』なのです。つまり、トップアスリート以外の人々は、刺激や、自分の身の回りの事象から気をそらせてくれるものを求めているということです。

引用:https://www.lifehacker.jp/2015/06/150602music_run.html

数年前この記事を読んだとき、私はマラソンにはまっていました。1年に数回レースに出て、毎回目標タイムを設定して、それに向けて毎週ハードなトレーニングを仲間たちとして…という感じです。

1人の中に居る2種類のランナー

数年前にマラソンに傾倒してた時、私はレース時は完全なアソシエーター でした。レース数日前から自分の内面(体・心)の状態を気にしていました。

レース当日に至っては、内面に集中しすぎて周りの声が聞こえなくなり、視界も狭くなる始末。レース最中はひたすら自分のペースを確認し、残りの体力をイメージし、メンタルはフラットに保ち…ということを考えながら、自分の内面と対峙しながら走っていました。その分、ゴール後の開放感はものすごかったです。

一方、一人でジョグするときはディソシエーターでした。音楽を聞いたり、景色をみたり、しながら自分の外に意識を向けていたと思います。

なので、1人の人間の中にもアソシエーターとディソシエーターは両方存在して走るシーンに応じて切り替わっている、というのが私の実感です。

また、それはランナーのレベルに関わらずあり得る思います。アスリートレベルだけでなく、ビギナーの人にも。

多くのランナーの方は、ディソシエーター的な走り方(自分の外に気を向ける)だと思います。音楽を聞きながら走ったり、景色を楽みながらはしったり。

走ってはいるものの、心は走る行為そのものではな走りながらしている別の何かに向いている。これはこれで楽しかったり、継続や習慣化もしやすくなるので、良いと思います。

一方で、ビギナーの方でもアソシエーター的な走り方自分の内面(体・心)に集中しながら走ることには意味があると思います。

例えば、自分の内面(体・心・走りの状態)に集中することで、以下の様な事が有るかもしれません。

「歩幅をいつもより伸ばしてみたら、スピードだせるな」という気づき
「腕の振り方、こうすると楽に走れるな」という気づき
「今日はいつもより体が軽いな、昨日よく眠れたからかも」という気づき

「自分の内側」から生まれた気付きは、他の人のどんなコーチングやアドバイスよりも価値があると思います。人によって体も心も違うので、自分が実際にやって気づいたことは「その人にとっての、より良い走り方」により効果的につながると思います。何よりも、自分で気付いたことは、納得感や実感が違います。

それをきっかけに、より楽により長く走れるようになれば、イベントやレースへの参加など、更にランニングの世界を広げることにもつながっていくかもしれません。

そう言った意味でも、自分の内面(走り)に集中する、ということをしてみるのは、とても良いと思います。

シンプルだから自分と対話しやすい

「ランニングは自分の体を運ぶスポーツだ」と何かの本で読みました。

ランニングは単純な動作の連続運動です。何度も何度も同じ動作を繰り返し、移動し続けるスポーツです。道具も使いませんし、必殺技のような特別なテクニックもありません。

単純・単調・シンプルだからこそ、自分の体・心との対話もしやすく、その意味も大きいと思います。

普段はディソシエーターの走りで習慣化や継続しながらも、たまにはアソシエーターの走りで自分の内側を意識しながら走ってみると、自分の走りがよりクリアに見えてくると思います。

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