オンライン授業の危険性を理解しよう

■はじめに

最近の大学の授業ではオンラインが主流になっている。国公立では対面も多いが、私立ではほとんどオンラインのようだ。

オンライン授業では「自分の好きなものを好きな時に好きなだけ視聴できる」が何よりもの特徴だろう。今の「主体性ブーム」とも相性がいいテクノロジーに聞こえる。今回はそのオンラインの最大の長所でもある「好きなものを」の危険性を主張したい。

■ブレイクスルーする瞬間とは

自分の可能性が広がる瞬間、それは「自分が意図したものとは違うものに巻き込まれるとき」である。例えるなら、車に乗っていて真っ直ぐ行きたいのに、「右に行かされる」ものである。

本来の大学の対面授業なら、18歳の新入生は何を履修すればいいかわからない。だから彼らは友達や先輩に相談する。「どれ履修すればいいですか?」と。キャンパス内を歩き回る。自分が受けたい!と思っていなくても「これ一緒に履修しよう」とか言われてその授業をとる。ここで自分の価値観とは別の世界を持つ先生と出逢う。その先生が以外とメンターになったりする。

自分の師匠はカフェのマスターでもあるが、彼と出会ったのは「近所に食堂のおばちゃんに誘われてから」である。別に最初からそのカフェのウェブサイトを見て行ったわけでもない。その出会いもおばちゃんに巻き込まれてできたものである。

つまり、学びとの出会いはいつも「巻き込まれることによって」「自分が予想もしなかった位置にいく」ことである。これによって、ブレイクスルーが始まるのではないだろうか?

一方、オンライン授業では、シラバスを読んで「あ、学んだら大体こーなるだなー」と判断する。それでは、自分の思考の領域にとどめてしまう。自分の到達位置を理解してしまうのだ。

これは非常に危険である。

自分の家でWi-fiさえあれば、誰にも介入されない。何にも邪魔されない。自分の意図したものの世界で埋め尽くされてしまう。自分の思考の領域にとどめてしまう。YOUTUBEでもそれは同じ。AIが自分が見たいものを勝手に診断する。ゲーム好きの子はゲーム動画。お笑い好きはお笑いの動画しかほとんど出てこない。だから、オンラインでの学習の利益を得ているのは「一部の学習強者」とも言えるだろう。勉強好きはオンラインで学習できるが、勉強が好きじゃないものは勉強教材に出逢うこともない。もちろん、自分の「好きなものを追求する」というものも非常に大きい。だが、それだけはブレイクスルーは起きない。

■自然に巻き込まれる

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さとやまの暮らしでは自然やあらゆるものに巻き込まれる。

畑仕事をしていて「栗を手伝って」と言われる。雨が降れば作業を中断しなければならない。子どもに邪魔され子ども遊びに巻き込まれる。知らない人とも出逢う。自分とは「別の価値観、別の社会、別の世界」に無理矢理連れていかれるような感覚だ。

ここにブレイクスルーの瞬間があるのだ。

無理に自然にいかなくてもいい。でも、人から誘ってもらったこと、邪魔されたことをやってみると意外と面白い。そうすると、自分の見えている世界が変わる。

やりたいことがない人は特に巻き込まれてやってみたことが以外とやりたいことになったりする。

■終わりに:僕が作りたい場

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僕は子どもたちが「自分が生きている世界から解放される場所」を作りたい。親、先生、友達との関係でうまくいかず、何か苦しい。という子どもたちが社会にはたくさんいて、苦しみ続け、自殺やうつ、不登校となってしまう。

その子どもたちが「僕が作った違う世界に巻き込まれて」可能性を広げてほしい。

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