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家庭崩壊から再生の旅路。長野移住記

これは、とある家族の移住記と見せかけた、ただの備忘録である。
移住に対する示唆や、家庭の調和のためのヒントがあるわけでもない。

正直、あまり声を大にして書きたい内容でもない。
ただ、ある種の備忘録として、2021年の出会いとして、記述しておこうと思う。

崩壊。もう、もとには戻れない

以前家族について素敵な記事を書いてもらっておいて、恐縮千万なのだけど、「理想の暮らし」が崩壊するのは一瞬だった。

「崩壊」と書くと大袈裟なと思うかもしれないけれど、詳細については言語化したくない気持ちもあるのであえて書かない。一家離散状態くらいに想像してもらえると齟齬が少ないと思われる。

理由は個別に思い浮かぶことはあるけれど、何がどうクリティカルだったかは正直何とも言えない。

ぼく自身に関してだと、雪深い札幌において外出もままならず、自宅2階の仕事部屋に朝から晩まで缶詰状態になっていることが多く、仕事と家族との時間をうまく両立できなくなっていった。

子どもに関しては4月から通い始めた幼稚園に、親から離れて通うことに激しく拒否。送迎バスに乗らせようものなら、必死に泣き叫び、どこにそんな力がと思うくらいの強さでしがみついて離れない。一度初めてのバスにトライしたとき、先生が半強制的に抱き抱えてバスに連れ込んだことがあるのだけど、かつてないほど泣き叫び、眼前に広がる光景は子どもを攫われているかのようだった(先生に非は一切ありません🙏)。「ここまでして幼稚園に通わせなきゃいけないんだっけ・・・」と胸が張り裂けそうだった。

そんなこともあり、幼稚園には無理に通わず、自宅1階や公園で遊ぶ日々が続いた。パートナーに関しては以前より自分の時間ができる予定だったところ結局叶わず、自分がやりたいことができずにストレスを溜めがちだった。ちょうどコロナで幼稚園が休館になったのも、メンタル的には追い討ちだったかもしれない。

みんな、何かしらつらい思いをしていた。

そんな3人の歯車が狂うのも、必然だったのかもしれない。ある日ちょっとしたことがきっかけで、あっけなく「理想の暮らし」とやらは崩壊したのだった。

一家は離散した。

空虚ってこういう空なのかと悟った


逃避。ここではない、どこか遠いところへ

正直、その後家族でどんなやりとりをしたのか、詳細はあまり覚えていない。とにかくみんなつらかったし、現実から逃げたかった。共にいる選択を取るとしても、何かを変えないといけないことは明白で、だけどそれが何かはわからなかった。時が流れ、ポツリポツリと言葉が交わされていく中で、いつしか長野への移住の話が中心になっていった。

気になるエリアはいくつかあったが、時間もお金も限られている。何より心が持たない。そこで最も魅かれていた安曇野エリアにまずは2週間、自分たちがどう感じるかを確かめに行くことにした。札幌から長野までは、小樽からフェリーで新潟を経由して移動した。切符は片道しか買わなかった。

もうこの大地には戻ってこないのだと感じた出港


回復。この土地に住もう

安曇野に来てからは、いくつかのゲストハウスにお世話になった。コロナ禍ではあったけれど、出会った方々はみなとても親身に、ありのまま受け入れてくれた。そして何より、この土地が心地よかった。

最初に泊まったゲストハウス裏の田んぼ

自然の中で、いろんな活動に誘ってもらえたのも、本当にありがたかった。身体が忘れていた呼吸を取り戻し、ようやく思考が回り始めた気がした。ここで暮らしたいと思うのに、時間はかからなかった。

たけのこ毎日取ってた
田植え。あの土の感触は一生忘れない
友達ができたね

再生。自分たちで暮らしを作りなおす

そこからは運よく、本当に運よく、今住んでいる家と出会い、移住することが決定した。売買でしか出していなかった物件がちょうど賃貸で出されたタイミングだった。地域でよき戸建て賃貸に出会えるのはかなりレアだと思うので、本当にタイミングがよかった。

実際に暮らしてみると、思っていた以上に、いろんなことが解決していった。まずもって家の構造がよく、縁側や家庭菜園もある。水が綺麗で食べものもおいしい。海鮮は北海道に軍配が上がるけれど、野菜や果物、山菜は圧倒的に長野の方が新鮮だと感じる。

土いじりをしている人が周りにはたくさんいて、近くの畑を近隣の方と耕して収穫したり。自宅でもトマトやブドウ、ヘチマなどを作り始めたりした。

ヘチマ

仕事に関しては、家だとうまくモードを切り替えられないので、仕事部屋を借りようかと思っていたところ、地域の交流センターにWIFIや電源がありコワーキングスペースのようにもなっていて、いつも通っている。令和になってからできたセンターらしい。

子どもは隣町にある幼稚園の方針に惹かれ、彼なりのペースで通い始めている。そこは親も一緒に通えるので、子どもが親と離れたくなければ、園内で一緒に過ごすことができる。本当にありがたい。

パートナーは子どもとの時間はありつつも、自分で暮らしを作る時間が増えていて楽しそう。

野草酵素つくったり
梅仕事しておしゃな撮影したり
木でお皿作ったり
夕焼けが綺麗だからと、近所の田んぼに行ったり
アート作ったり

日常で目にする光景も変わった。長野はとにかく山だらけ。北海道も荘厳な大自然だったけど、長野はまた違う意味で大自然。特に動かざる山は、揺れ動く心を落ち着かせてくれたように思う。同じ山でも、毎日変わる表情をみるのが楽しい。気分が鬱屈したときは、自転車で田んぼの間を駆け抜けるだけで、気分がよくなる。

交流センターから見る山。もっと壮大なんだけどなあ。画角の限界

細かくあげればキリがないのだけど、いろんな人やことに生かされた結果、今は家族3人、だいたい穏やかに暮らしている。課題がなくなったわけじゃないし、日々試行錯誤することばかりだけど、それでも状況はかなり好転したと思う。ほんと、生かされている、という言葉がすごくしっくりきている。

家族3人で

あとがき。安曇野の道祖神

移住してから知ったのだけど、安曇野には道祖神がたくさんいる。どれくらいかと言うと、市だけで400体以上。市町村で日本一と言われているそう。そして安曇野ならではなのが、神様が一人ではなく、男女二人いること。

この男女は夫婦ではなく、兄妹らしいのだけど、見ていると男女の仲を取り持ってくれるようにも感じる。ひょっとしたら、道祖神様たちが救ってくれたのかもしれない。

パートナーにそんな話をしたところ、どうやら知っていたらしい。

「それもあってここしかないのかなって」

この土地と、そして改めて家族と出会えて、今の自分は生かされてるなあと思うのです。

このnoteは「書く」と共に生きる人たちのコミュニティ『sentence』 のアドベントカレンダー「2021年の出会い」の2日目の記事です。素敵な書き手のみなさんが、今年の出会いについて思い思いに書いてくれます。楽しみ〜^^

読んでいただきありがとうございます!