リクルートスーツは気持ち悪いのか。

冬から春へ移り変わるころ。
画一的な黒い装いの若者たちが街に現れる。
黒いスーツ、黒い革靴、胸元に覘く白。
就職活動に精を出す若者たちだ。

最近、リクルートスーツについて批判を耳にすることが増えた。
没個性的だとか、みんな同じで気持ち悪いだとか。

同じような出で立ちで、同じような髪形にそろえた、同じような年ごろの若者が多く目につくのは確かにインパクトがある。
それは批判されることなのだろうか。

就職活動をする若者にとって、リクルートスーツはユニフォームのようなものだ。
私服のセンスによって選考の合否に影響を受けることはない。
面接官にとっても、余計なバイアスをかけることなく学生の言葉に耳を傾けることができるだろう。
ただ、ストッキングはOKで黒いタイツはNGだとか、パンツスーツよりもスカートがいいだとか、ワイシャツは白の無地だとか。
そういうものまで統一されていく必要はあるのだろうかと疑問はあるけれど。
選ぶのに困らなくていいから、学生にとっては親切なのかもしれない。

もし服装はご自由に、という面接だったら、どうだろう。
就職活動は自分を商品として企業に売り込みをかける。
選考に漏れてしまったとき、服装で自分の個性を表現するのであれば、自分の個性を否定されることになる。
いちいち着ていく服を考えたり、購入するのも負担になると思う。
すべての企業が服装自由にしたところで、次第に似たような「就活必勝コーデ」みたいなものが出来上がっていくのではないか。

一目でそれとわかるユニフォームは、着る人にとっても周囲にとってもいいものだ。
例えば警察官の制服。消防士の制服。運転士の制服。店員さんの制服。
用事があればすぐに声をかけられるし、なにか困ったとき、制服姿の彼らがその場に来てくれるだけで安心する。
着る人は、制服に身を包むことで職務を果たそうと身が引き締まるだろう。
戦うヒーローが変身するのと同じように。

人生の中で、制服を着て過ごした経験のある人は多くいる。
私もブレザーにプリーツスカートを揺らして学生時代を過ごした。
学生生活の青春は、制服とともにあった。
高校を卒業した日。
もう制服を着られない、高校生でなくなってしまったのだなあと寂しい気持ちになったものだ。

TPOにあった服装も、ユニフォームと呼べると思う。
街にドレスアップした女性がいたら、「今日は結婚式があるんだな」と思う。
膝より下の丈のドレスは結婚式に出席するためのユニフォーム。
ドレスアップし、親しい人の晴れの舞台へ臨席する期待感に胸を膨らませる。
素敵に装った彼女たちを見ても、画一的だと批判するのだろうか。

リクルートスーツもこれらと同じだ。
白いシャツに黒いスーツ。
コントラストの強いパリっとした装いに変身。
気を引き締め、自分を売り込む営業マンとなる就活生。

統一されたユニフォームは気持ち悪くなんかない。
就活モードに変身しただけの、個性豊かな若者たちだ。
制服に包まれたって、彼らの個性は埋もれやしない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?