インド生活記3🇮🇳
この5日間読書に更けた。持って来た小説は全て読み尽くした。これで荷物が軽くなると思うと、少しいいことをした気分になる。何より、のんびりと過ぎていく時間が至福の時間だということを改めて知った気分になる。
こうやって外の世界に出ると、日本ではおそらく会わないであろう人物と出会うことがよくある。今回もそんな人に出会った。彼は校長先生をやっていた教育者でありながら、現在は10年近く、世界を旅するという変わり者だ。そんな彼はとにかくおしゃべりで、私の興味をそそる話から、私が知らない話まで、なんでも教えてくれる。実に不思議なオーラをまとった人物だ。
そんな彼は、私にこんなことを言った。
「情けは人の為にあらず」
小さくても、知らぬ相手だったとしても、「いいことをしてはどうかい?」こんな口調であった。きっとそこには彼の人生の中で培った確固とした何かがあるのだろうと私は推測できた。教育者であるからこそ、その言葉はいろんな形に変化し、私の脳みそに、心にすっと入って来た。
一概に何が「良いこと」なのかはわからない。ただ、自分にとって良いことを相手にすることによって相手もいい気分になり、同じことを他者にする。すると、その他者がきっとまた他者にする。その繰り返しの果てには、きっとどこかの誰かが、自分のために何かしてくれるはずだ。彼はそう言った。
しかし、これには逆もある。「良いこと」を「悪いこと」に変えれば、いつの日か、自分に悪いことが返ってくる。
同じ時間という世界を生きていると、このどっちかしかない。右に回るのか、左に回るのか。螺旋階段であれば上に登っていくのか、下に降っていくのか。
だったら君はどっちが良い?
彼はこんな風に言った。
私にはとても不思議な言葉に聞こえた。わかっているつもりで生きてきた。が、彼に言わせれば、「わかっている」と「行動している」には大きな、いや、大きすぎる差があると。確かにそうだなと心の底から思った。まるで授業のようであって、自分との対話であるような時間を、空間を彼は一瞬にして作り上げていた。
果たして私は今までに何ができていたものか。深く考えてみても、なぜかぼんやりとしたものしか出ない。よく、「徳を積む」などという言葉を聞くが、結局はこういうことなのかも知れない。
少しだけ新たな目標が見つかった。「情けは人の為にあらず」良い言葉だ。いつ返ってくるかもわからない見返りを求めるわけではない。そうではなく、日々の積み重ねが、その思考がきっとあなたを幸せに少しだけ近づけるのだと、私はそう理解した。
きっとこの先の生活の中で、「苦しい」「辛い」と思うことなど山ほど有るだろう。その時にどう考えられるか。逆も同じで「嬉しい」「楽しい」そう思った時にどう考えられるか。意外とこんなことが人間にとっては大事なのかも知れない。
「良いこと」の定義は曖昧かも知れないがそれはそれで良いのかも知れない。彼にとっての「良いこと」と私のとっての良いことにもきっと違いがある。でもだからこそ、世界には個性があり、誰1人として同じ人間がいないのかも知れない。まだ知らない未来に何かを賭けてみるもの1回しかない人生面白いかも知れない。色んな国でたくさんの文化に触れ、たくさんの人間の生き様を見る。そんなことをしていると思うと、いまの自分が少しだけ誇らしく思えた。
何かしてみよう。
私は読み切った本にメッセージを書いた。誰にもいうことなく、誰にもわかることなく書いた。そして、その本をこの宿に寄付した。いつかここに訪れる誰かが、それを見て何か感じ取ってくれれば良い。未来の誰かに送る私からのギフトだ。
いやこれこそ、自分に対してのギフトなのかも知れない。答えがいつ出るのかは誰にもわからない。もしかしたら、この答えは一生でないのかも知れない。でも、それで良い。
私の心が少しだけ晴れた。今日顔をを出している太陽のようにカラッと照らしている。
また前に進む原動力が少しだけ生まれた瞬間であった。