見出し画像

ミャンマー生活記3🇲🇲

前回の記事から読んでいただけると幸いです。

車窓から見える空はまだ真っ暗であった。日本の列車とは大きく違い縦にも横にも大きく揺れる。列車というより船だ。皆がグラグラしながらも必死に座席にしがみついている。窓はもちろん全開。外から入ってくる風が気持ちいい。それと同時に草木や木の枝までもが入ってくる。車内にはネズミもたくさんいる。きっと人間だけでなく、こんなものも運んでくれる列車なのだろう。そう思った。

まだ乗客も皆静かに眠っていた。私は少しばかり外の風景を眺めながら静かに眠った。

どのくらい寝ただろう。気がつくと少し日が出ていた。時刻は6時30分。朝日がこんなに綺麗に見えたことはない。何もない草木の先には大きくて真っ赤に燃え上がる朝日があった。風は冷たく、強い。まだ誰も起きていない。私は今この朝日を独り占めできている。そんなことを思った。太陽の周りの空気が歪み、オーラを放っているかのようだ。やはり太陽は人間にとって大きなパワーの源だと再認識すると共に、いつの間にか砂まみれになっている自分に呆れてしまった。この旅はよく砂まみれになる。

駅に着くと売り子がたくさん乗ってくる。お菓子や飲み物、フルーツに噛みタバコまで多種多様。カゴを頭に乗せサーカス団のようなバランス感覚とテクニックで客を捌いていく。

そんな彼らが少したくましく見えた。私は一体何ができるのだろうか。

もう外が完全に明るくなった頃、少しずつ乗客が増え始めた。見ていると、駅という名があるだけで、何もない場所もある。ここで生活をしている人もいるのだ。
つくづく世界は広いなと感じるばかりである。小さな子供が遠くから手を振っている。よく見ると1人だけでない。通る駅、村、ほとんど全ての子供達が列車という乗り物に対して特別な感情を抱いているのだろう。子供はどこに行っても変わらない。
彼らの笑顔が素敵で、またどこか共通点を見出せたことが嬉しくて思わず私も手を振っていた。

日差しが強くなって来た頃。相変わらず列車は脱線するんじゃないかというくらい大きく揺れている。変わったことといえば景色だ。
いつの間にか標高が高くなっている。山を駆け上がっているみたいだ。線路の脇には山とも森とも林とも言える風景だ。小さな頃に見ていた「世界の車窓から」という番組を思い出すほどそれは美しかった。

音楽を聴きながら外の景色を眺めているだけで、なぜかワクワクできる。他の乗客も皆外を眺めている。長い長い旅だ。ただ時間を忘れさせてくれるほど私の視界には大きな大きな魅力が広がっていた。

時間の経過に比例して列車が走る標高は高くなって行く。気がつくともう家が米粒のように見える。空気がとても美味しい。列車は時折、故障しながらも必死に前に進んで行った。

時刻は11時過ぎ。

もうかれこれ8時間近く揺られたことになる。気がつくとお尻の痛みは倍増し、腰や背中にまで痛みが来ていた。でも嫌ではない。なぜか心地がいいのだ。

同じ乗り物でも飛行機やバスでは感じられない気持ち良さがあるのが列車だ。その理由は列車旅初心者の私にはまだわからなかった。

いつの間にか乗客のほとんどが目を覚ましていた。少しだけざわつく車内。どこからか香る食べ物の匂い。この全てが今のこの環境を作っている。当たり前のことなのに素敵なことだなとしみじみ感じていた。

すると車内から「おおおお」という歓声がどことなく聞こえてくる。そう。
とうとう鉄橋が顔を出したのだ。顔を出すまで8時間。多くの人が行くのを躊躇う理由がわかる。長い。長すぎる。

心の中で「一生に一度」

そう何度も唱えその時がくるのをジッと待った。鉄橋が近くにつれ乗客のボルテージも上がっていく。あれ、若干名ではあるが観光客もいたらしい。もちろん片手で数えられる程度の話ではある。

遠くから見ても圧倒的な存在感。100年以上前に建設されたのが嘘のような美しいデザイン。その鉄橋の名は

「Goteik Viaduct」

和訳するとゴッティ鉄橋というらしい。詳しいことはよくわからない。その圧倒的存在感は乗客のみならず、乗務員や車掌さえの心を掴むのであろう。皆が刻一刻と迫るその瞬間を待ち望んでいるように見えた。

サービス精神豊富なのか、それとも焦らして遊んでいるだけなのか、鉄橋の手前で少しばかりの休憩がある。列車から飛び降り、写真をとる。そして、今から渡る、ミャンマーの公共機関ジェットコースターを目に焼き付ける。圧倒的な高さは人々にどんな感動を与えるのか。

また大きな汽笛がなり、乗れという合図が。

私のワクワクはとうとう最高潮に達した。

少しづつ鉄橋に足をかける列車。そのスピードは安全面からなのかゆっくりだ。そのスピードさえもこの景観を彩る。素敵な空間だ。

窓から顔を出しても全開のドアから身を乗り出しても、文句はない。皆がこの景色を思う存分に感じているのだ。下を覗くと遥か彼方に川がある。その青さが周りの木々の緑と相まって「自然」というカテゴリーに属することをより主張している気がする。しかし観光地とも言えなくはない。

これは自然なのか人工物なのか、それはつまり観光地なのか、ただの公共交通機関なのか。

ここは実際に見た者の捉え方次第で姿を変化させる場所なのかもしれない。絶妙な空間だ。橋を渡るのにかかった時間はおよそ5分だ。その5分間だけは今までの苦労も、痛みも全てを忘れさせてくれた。ただ夢中になっていた。

あっという間の5分間であった。乗客のほとんどが満足げな表情をしていたのが印象的だった。中にはヒヤリとする者もいたであろう。しかし、そんな彼らさえも魅了してしまう場所なのかもしれない。

そんな鉄橋を背にまだまだ列車は走り続ける。相変わらず縦にも横にも揺れながら。何度も故障しながら。先頭車両を交換する場面さえあった。でもそれもまた良いのだ。

次の駅に着いた時にはもう疲れ果てていた。寝不足が応えたのか、それとももう見れないものに後ろ髪を引かれているのか。時が経たなければわからない事なのかもしれない。

と思った矢先。単線の列車だが、反対側からも列車がきていないことに気がついた。本来は最終駅まで行き、そこからバスで帰ってくるのがセオリーなのだが、体力的に厳しいのと、もう一度見れるかもしれないという好奇心から列車から降り反対車線の列車を待った。

もし仮に来なければ何もないここで野宿することになったかもしれないが運は私に味方していた。
駅員に確認するともう少しで来るという。チケットも手配してくれた。私が乗っていた列車はいつの間にか消えていたが、反対からの列車に飛び乗ることに成功した。

そして「一生に一度」と決めつけていた鉄橋をなんとこの短時間で2度見ることができた。その姿はやはり壮大であったことは言うまでもない。

想像して見てほしい。100年以上前に建設された大きな大きな鉄橋を大自然に囲まれながら進んでいく様を。この鉄橋を建設した者たちは今もなお存在しているとは思っていないかもしれない。そしてこの先の未来にいつまで残るかもわからない。

そんな過去の意志と儚さを感じながら渡る瞬間を。

私はいつの間にか眠りについていた。眼が覚めると行きに見た子供たちがたくさんいる村に停車していた。またとびきりのの笑顔で手を振っている。
あの鉄橋を渡った私は行きよりも大きく手を振った。

それに気づいた彼らはもっと大きく手を振った。
その姿を見ながら、私はまた眠りについた。充実感という枕とともに。


追記

どうだっただろうか。私が感じた世界観はうまく伝わっただろうか。少なからず大迫力で魅力的な場所だということくらいは伝わっていてほしいと願うばかりである。

この物語はここで終わりなのだが。私はどうしてもここに書き記したいことがある。それは列車がまるで人間のように見えたからだ。
こう書くとよくわからないかもしれない。

お世辞にも新しく最新システムを導入した列車とは言えない。スピードも出ない。しかし過酷な道のりを故障しながら、大きく揺れながら、時にはバックをしたり、先頭車両を交換したりしながら、必死に前に進む姿が人間のあるべき姿なのではないかと勝手にリンクしてしまっているのだ。鉄橋がなくともこの道のりはミャンマーの人たちにとって必要不可欠なもので、この列車はいわば彼らの生活も乗せている。

そんな大きな期待を背負いながらも坂を登り、山を登り、大きな橋も渡る。トラブルがあっても最後まで使命を果たす。そんな姿が印象深い。この列車が30年後に走っているかと聞かれたらイエスとは言えない。ただきっと今日も明日も懸命に走ることだろう。

人間も同じように何かにつまづいたりうまくいかなくなることもある。時には右往左往し、時には脱線してしまうかもしれない。はたまた故障かもしれない。しかし、自分が決めたゴールに向かって走り続けるのだ。そこには乗客ではなく、自分自身という乗客よりも遥かに大きな荷物を積んでいるのだ。

まだまだ、私も出発したばかりの列車だ。この先に山もトラブルもたくさん待っているだろう。時には大きな橋から素敵な景色を見れるかもしれない。

しかし大事なのはゴールまで走り切ることなのかと思う。特急じゃなくていい。鈍行でいいのだ。

大きな汽笛が鳴った。

私はまた出発することにする。