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思考の更新作業

 普段は青森の実家でリモートワークをしている私だが、ワーケーションと称して仙台に来ている。

専門学校時代の友人に会う機会が多く、楽しくもあり切なくもなるような感情の揺れ動く日々を過ごしている。

私の日常は家族(それもほぼ母親のみ)以外との会話があまりにも少ないので、今は嬉しいギャップを噛み締めている。

「25歳」でこれほどまでに頻繁に会い、仲良くいられる友達がいるというのは貴重だと思う。

友人達とお揃いで回したガチャガチャ


仲が良いとはいえ、物事の考え方はそれぞれもちろん違う。


友人をはじめ色んな人と話す中で、自分の思考の癖が少しずつ分かってきた。

例えば、年齢で縛ってしまう癖。

 
私の中で、何歳までに実家を出る、結婚、出産…といった計画が一応ある(それ通りに行かない可能性しかないが)。
その事が当たり前になっている。 

そして、そのことについて友人から叱責を受けた。

年齢で縛るなんてつまらない、と。


今置かれている自分の状況に捕らわれ、考えが凝り固まっていることに気づかなかった。

むしろ柔軟な考えができる方だとすら思っていた。


理由は分からないが、その場で思わずボロボロと泣いてしまった。

 

生きることは取捨選択の連続だ。

最後は自分が責任を取る事になるのだから好きなようにしたいという思い、信頼できる人達を失望させたくないという思いで揺れ常にブレブレである。   

私は思考も身体も体幹が弱いようだ。

そして時々、誰のために生きているのか分からなくなる。

「考えに芯がない」と言われたことがあるがその通りだと思う。

嫌われるくらいなら、波風を立てるくらいなら平気で自分の考えを曲げてしまうのだ。

時々そんな自分が恐ろしくなるが、それが自分なのだと思う。


このジレンマには終わりが無い。

これからも周りから色んなことを言われる度に感銘を受けたり傷ついたりするだろう。

私が出来ることは、その幾多の中から欲しい言葉を摘み、時には捨て、自分の養分として行くことだと思う。

流されやすい奴は流されやすい奴なりに、踏み潰されない道を選んで進んでいきたい。

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