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2016年 102冊目『ヒラリーの野望 その半生から政策まで』

※以下は2016年にFBに投稿された内容です。

2か月ほど前に、そういえばヒラリーさんの事もよく知らないなって思い手に取りました。

大統領選の結果が出たので、読むかどうか躊躇したのですが、面白かったです。
ヒラリーさんは大統領にはなれませんでしたが、凄い人ですね。

今更ですが、ファーストレディ、上院議員、国務長官、米国初の女性大統領候補の一歩手前まで到達した人なのです。

1つ1つでも凄いですよね。

ヒラリーさんには3つの転機があったようです。

1高校時代のメソディスト教会牧師ドナルド・ジョーンズとの出会い。
2ウエルズリー大学時代におけるベトナム戦争と公民権運動との出会い。
3エール・ロースクールでのビル・クリントンとの出会い。

この3つのうち1つでもなければ、現在のヒラリーでは無かったのです。
もともと中高時代のヒラリーは、育ったバークリッジと言う町が妊娠中絶などリベラルな政策に反対する根っからの共和党員ぞろいの極めて保守的な場所であったこともあり、共和党支持者でした。

メソディスト教会牧師ドナルド・ジョーンズさんが高校生向けに毎週2回開催していた「人生大学」を参加し、安全安心なバークリッジの街以外、例えばスラム街の若者たちとの交流、キング牧師との交流などを通じ、ヒラリーの視野を広げていきます。

ただ、この時点では両親も地域も共和党支持ですし、反共産党主義なので、彼女の志向は変わりません。

その後、優秀な成績で高校を卒業し、マサチューセッツ州の名門女子大ウエズリー大学に入学します。(当時、ハーバードやエールなどのアイビー・リーグ8大学は女子学生を受け入れていなかった)

上流家庭の子女が多い同大学で、中流家庭出身のヒラリーは馴染めません。あえて?ファッションから遠ざかり、猛勉強に勤しみます。

分厚い眼鏡に体の線が分からないぶかぶかの服の写真が載っていました。

ヒラリーが大学に入学した1965年は泥沼のベトナム戦争への疑問と公民権運動が盛んになった時代です。

大学入学直後に青年共和党に入り、その議長に選出されたヒラリーですが、共和党への疑問が高まり、ポストを退きます。

そして、ヒラリーはベトナム戦争問題に没入していきます。

当時のアメリカは徴兵制で、男性は軍隊入隊が必須だったのです。

また、大義のない戦争に参加する事が愛国的行動なのかと言う疑問もありました。

愛国者と言われるためには、自分が正しくないと思っている戦争にも参加しなければいけないのか?

このような議論を連日交わしていたのです。

そして68年には、ベトナム戦争の一層の泥沼化と反戦運動の激化、ジョンソン大統領の大統領選出馬辞退、キング牧師の暗殺、ロバート・ケネディ大統領候補の暗殺、黒人公民権運動指導者のマルコムXの死亡など衝撃的な事件が相次ぎます。

ますます社会の不条理に疑問を持ちます。

そして4年生になったヒラリーは卒業式でスピーチをします。

今なら卒業生がスピーチをするのは当たり前ですが、当時は来賓がスピーチをし、卒業生は聞くだけだったのです。

卒業生のスピーチが受け入れられないのであれば、卒業式をボイコットすると言う交渉に大学側が折れて、ヒラリーは卒業生代表としてスピーチをします。

そして、そのスピーチは大成功をおさめ、全員が起立して7分間におよぶ雷のような喝采がおきました。

そのスピーチ内容とともにヒラリーはライフ誌に取上げられ、全米で最も有名な大学生の1人になったのです。

ヒラリーは卒業後、ロースクールに入学します。

そこで出会ったのがビル・クリントンです。
ビルは、超エリートだけが選ばれるローズ奨学生として、オックスフォードに留学し、ヒラリーの1年後に同じロースクールに入学してきたのです。

そして、伝説となった図書館での出会いが起こるのです。(これは本を読んでみて下さい)

その後、ビルは地元アーカンソーに戻り政治家になる準備をし、ヒラリーはマサチューセッツで弁護士としてキャリアをスタートします。

その後、ヒラリーはウォーターゲート事件の調査員に声がかかり、ニクソン大統領を辞任に追い込む有名なテープの分析業務を行いました。

この仕事が終わった瞬間に、ビルはヒラリーをアーカンソーに誘います。こ
のタイミングしか無いと思ったとあります。
(当時、ここは人種差別が強く、彼女のキャリアにとってメリットは何もありませんでした)

いつも論理的なヒラリーが感情で行くことを決めたとあります。
男女は分かりませんね。

アーカンソーではビルが政治家になるのをサポートします。
初の下院議員出馬でも、大敗を予想されていたのを、惜敗まで持っていきます。これは、ヒラリーがバラバラで収拾がつかなかった選挙スタッフのマネジメントのおかげだったのです。

それ以降は、ビルの下院選、州知事、大統領になるのをサポートし、実現していきます。

ビルはヒラリーの能力を信用していたので、単なるファーストレディとしてだけではなく、重要な仕事を彼女に任せます。結果、教育、医療など様々な分野で成果を出しています。

この当時のヒラリーは、国民の幸福を願い、それを実現する能力のあった人材でした。

一方で病気の域に達しているビルの女性問題に公私ともども悩まされます。
これ以降は、一般的に知られている事なので割愛します。

もしもと言う仮定の話に意味はありませんが、
オバマさん、トランプさんと言う稀有な候補がいなければヒラリーさんにも可能性があったのでしょうか。

選挙中のヒラリーさんは、大統領になる事が目的であったように感じました。

若い時の、世の中をよくしようと言う思いを無くしてしまっていたことが、今回の敗戦につながったのかもしれないなと思いました。

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