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2016年 76冊目『働く女子の運命』

※以下は、2016年にFacebookに投稿されたものです。

2013年世界経済フォーラムが発表した社会進出における格差を示す「ジェンダーギャップ指数」では、日本は105位/136か国です。

政治分野と管理職の割合の低さが原因です。

これをきっかけに2015年8月に「女性活躍推進法」が成立しました。

しかし、実は六法全書に載っている女性関係の法律を見る限り、欧米諸国に比べてそん色があるようにには見えないのです。

ところが、ジェンダーギャップは2006年79位/115か国→2010年94位/134か国→105位/136か国と落ち続けています。

15年に101位/145か国とやや改善しましたが、改善は女性閣僚の増加で、職場は悪化しているのです。

何故でしょうか?

日本企業は、長時間労働、転勤、職種異動ができる人材≒男性を中心に構成されています。これをメンバーシップ型社会と呼びます。

メンバーシップ型社会では、終身雇用が前提です。職業スキルが無い大学生を大量採用し、社内教育し、職種異動させながら育成していきます。

年功で賃金が上がり、扶養家族の数により給料が増加する生活給の色彩も残っています。

長期継続勤務できる忠誠心と言う「能力」と長時間労働や転勤を受入れる「態度」を査定されます。

これでは、妊娠・出産により労働環境が変化しやすい女性が高評価を受け続けるのは、厳しくなります。

結果、女性には補助的な仕事を与えがちで、キャリアアップに制限がかかります。

一方で、長期就業し続けると、年功で賃金が上がり続け、給与と成果に差異が出るので、女性が長く働き続けると、退職圧力がかけられます。

一方、欧米諸国は職種ごとに雇用契約を結び、時間規制があり、転勤が無く、職種間移動がありません。
これをジョブ型社会と呼びます。

ジョブ型社会は、職業スキルが無いと就職できません。
スキルの無い若年層は失業しやすくなります。

就職した後も、同じ仕事をしているだけでは給料は上がりません。

会社を超えて職種共通の物差しがあり、スキルアップをしながら給与を上げていきます。

転職しながらポジションを上げていくことが当たり前です。

男女とも長期就業が前提ではないので、社内での男女差別は少なくなります。

正確に表現すると、欧米にも、かつては男女差別がゴリゴリにありました。

それを無くすために、職種別のコースにし、同一労働同一賃金を入れました。更には、男性が多い職種と女性が多い職種間の差別をなくすために、職種が異なっても同じ価値であれば同じ給与を支払う「同一価値労働同一賃金」を入れようとしています。

もちろん、うまく行っていない事もあるのですが、女性にとってはキャリアアップやスキルアップの機会は多いようです。

日本と欧米でこのように大きな差異が出来た理由を、日本の労働関連法の歴史から紐解いてみます。

明治から大正にかけて日本の労働者の過半は繊維工業の女工でした。

1872年の富岡製糸場では、士族の子女が中心で、賃金も高く、食事や住居や福利厚生も高いものでした。

将来地元で製糸業が立ち上がる際に、キーパーソンになる事を求められていました。

ところが、製糸業の振興が、あまりに急速で、各地で作られた工場では、貧しい出稼ぎ女工中心に変わりました。

結果、12時間超労働、不衛生などに悲惨な状況であったようです。

この過酷な状況を改善するために、30年以上の反対の中、1911年に労働法が制定されました。12時間以内の拘束、深夜残業の禁止、休日数の定めなどが決まりました。

一方で第一次世界大戦後、ホワイトカラーに女性が進出してきます。しかし、女子の待遇はかなり低く、1932年に、その理由は、経済的に説明することは困難で、一般社会の慣習(婦人は家計を補助するものである)によると残っています。

同じく30年代に銀行を中心に女子若年定年制が導入されます。結婚理由での退職を自己都合とせず、退職金を満額貰えるようにすると言うのが理由でした。ちなみに39年には第一勧業銀行が、28歳定年制を導入しています。女子は、入社時に結婚退職誓約書を提出させられていました。

戦後、女性の地位向上のために47年、労働省に婦人少年局が設置されます。

同年労働基準法により、成年男子も含め一日8時間、週48時間の上限が設定されますが、36協定により、労使の合意があれば無制限となってしまいます。

※欧米では、労働時間の上限が法律で定まっているのに、現在でも日本には大きな抜け穴があるのです。

20世紀初頭の日本では、年功的な賃金制度は存在せず、技能評価に基づく職種別賃金でした。

ところが、大企業を中心に子飼い職工の雇用システムが導入され、長期勤続前提の定期昇給性が導入されます。

更に22年に年齢とともに賃金が上昇し、家族を養える生活給が望ましいと言う議論が出てきます。

戦時中の40年前後に、自由な労働移動が禁止され、解雇も制限され、終身雇用が基本となりました。

43年に政府機関の政策文章に「賃金は、労働者及びその家族の生活を恒常的に確保する事。それに加え、勤労業績に応ずる褒賞とする事」とあります。

つまり、年齢と家族数で給料が決まるという事です。有名なので電産型賃金体系ですね。

戦後、世界労連やGHQはこの給与体系を批判し、JOB型への移行を勧告します。

これを受けて、46年には労働基準法が制定され、第4条では男女同一賃金を規定します。

同年経済安定本部も職務給をするべきと規定しています。

48年に結成された日経連も生活給を排除して、職務給にすべきと述べています。

さらに55年には同一労働同一賃金をすべきと宣言までしています。

60年代になると、職務給化を進める提言をし、個々の企業で職務給化を進め、徐々に業種や地域別に広げ、最終的には全国の仕組みに持っていくべきと提言しています。

加えて、60年代になると政府も職務給を唱道します。

67年にはILO100号を批准します。(これは同一労働同一賃金かつ男女同一報酬についての規制)

この流れを見ると、50年後の現在の日本は、JOB型社会になっているはずでした。

ところが、日本はメンバーシップ型社会を強化していくのです。

それは何故でしょうか?

労働組合の存在があります。労働組合は生活給が大好きでした。

総評の賃金闘争はもっぱら、誰もが納得する「大幅賃上げ」一本やりでした。

これでは職務給になりません。

加えて、日経連が宗旨替えをします。

「仕事に着目する職務給から、ヒトに着目する職能給」への思想転換です。

職能資格制度が導入されます。
考課は顕在能力ではなく、潜在能力を評価することになりました。

その後、日本の成長に伴い、職務給は古い体系であり、会社主義である職能資格制度が素晴らしいのだと言う理論?整備も進みます。

そして大企業の男子のみが、潜在能力を期待され、教育機会を得られ、女性や中小企業就業者は昇給が限定的になります。(これを「知的熟練」と言うそうです)

更に経団連が独自の「同一価値労働」を唱えだします。
将来的な人材活用の要素も考慮して企業に同一の付加価値をもたらすことが期待できる労働だと言うのです。

これは同じ「同一価値労働」と言う言葉ですが、意味が全く異なるのです。

その後、日本でも男女差別を解消するために様々な動きがあります。

大きいのは、85年に制定された男女雇用機会均等法です。

かなりの進歩ですが、コース別採用等で一部骨抜きになります。

つまり、男は総合職、女は一般職。
そして少しの女性を総合職に入れることでお茶を濁しました。

しかし、これをきっかけに90年代以降女性総合職活用が強化されます。

現在では、さらに育休制度も充実しだし、妊娠出産で退職するのが当たり前の時代が終わりを告げつつあります。

今後は入口は日本型で、30過ぎくらいからジョブ型への移行を志向する事で、徐々にJOB型に持って行けるのではないか。
そうすることが男女の差別がより無くなる方向ではないか。と著者は考えています。

9月の研修の課題図書の1冊で手に取りましたが、読みごたえあり、頭の整理になりました。

▼前回のブックレビューです。

▼新著『業績を最大化させる 現場が動くマネジメント』です。


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