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2016年99冊目『私の財産告白』

本多さんは1866年埼玉生まれ。
苦学の末、84年に東京山林学校に入学。
一度落第するも猛勉強して首席で卒業。

ドイツに私費留学しミュンヘン大学で国家経済博士号を得る。
92年東京農大の助教授になり、月給4分の1天引き貯金と1日1ページの原稿執筆を開始。

研究の傍ら植林、造園、産業振興など多方面で活躍。
日比谷公園の設計や明治神宮の造林など多くの業績を残すだけでなく、
独自の蓄財投資法と生活哲学で莫大な財産を築く。

27年定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。
人生即努力、努力即幸福をモットーに、戦中戦後を通じて簡素生活を続け、370冊余りの著書を残した方です。

薄給のころから月給の4分の1を貯金し、ボーナスや臨時給も貯金します。
その貯金したものを、株や不動産に投資し、資産を大きくしていきました。

1か月58円の給料袋から4分の1の14円50銭を引き抜き、残りの43円50銭で1家9人(大学助教授になるとたくさんの親戚が居候してきた)の生活をするわけです。

ご本人も書いているのですが、これは本多さんの発明ではありません。
古くはお釈迦様がお経の中で説き、江戸時代も松平楽翁さんや二宮尊徳さんなども奨励してきた、貯金法(分度法)です。

貯金の問題は、豊富の如何ではなく、実行の如何なのです。とあります。
実際、給料日前の数日は、子供たち含め本当に辛かったようです。

ドイツ時代の恩師から、「いかに学者でも優に独立生活ができるだけの財産をこしらえなければ駄目だ。

そうしなければ常に金のために自由を制せられ、心にもない屈辱を強いられることになる。

学者の権威もあったものではない」との話がきっかけだったそうです。

財産を作る事の根幹は、やはり勤倹貯蓄で、これなしには、どんなに小さくとも財産と名のつくほどのものはこしらえられない。

その貯金がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい。
貯金を貯金のままにしておいてはしれたものである。

その時に、投機をせずに投資にする。どのようになったら売るのか、損切りするのかルールを決めて、それに合わせて明確に運用する事が大事なのです。

本多さんの場合は、専門が林業であったこともあり、秩父の山で財産を築かれたようです。

本多さんは25歳で初めて15年後の40歳には給料よりも貯金の利子や株の配当の方がずっと多くなり、さらに20年たった60歳のころには、多くの金融、不動産資産がある状態になっていました。

それも定年時には寄付するのです。
凄すぎます。

翻って、自分自身は、リクルート入社当時に、あれば使ってしまうと考え、給料の1部の固定額を株に、1部の固定額を2つの銀行に、そして残りを生活のための銀行に入れていました。

4つに分ける事で、固定額を入れている2つの銀行のお金は使わないようになりました。

もちろん、生活費が足りなくなると、固定額のうち1つを切りくずし、さらに足りなくなるともう1つを切り崩すと言う運用をしていました。

本多さんとの比較で言うと、本田さんは固定額ではなく、比率でやっているので、給料が上がるに従い、貯金額や株への額が増えていくわけです。私は固定額、それも少額でした。

これは年を経ると差が大きいですね。

また、毎日1枚、お金になる文章を書き続けられています。
これはやれてないです。

これから初めてみようと思います。
色々考えさせられる本です。

▼前回のブックレビューです。

▼新著『業績を最大化させる 現場が動くマネジメント』です。

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