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2019年 11冊目『安心社会から信頼社会へ』

タイトルからなんとなく提言っぽい本かと思っていましたが、かなり読み応えのある知的好奇心を満足させる本でした。

本書は社会心理学の本です。いわゆる私たちがきちんと確認もせずに、そうだよねーと思っていることを、各種実験で反証します。

そうなんだ!ってドッグイヤーをつけた部分をメモしておきます。

・日本は、信頼社会ではなく、安心社会であった。

社会的不確実性がない状態を「安心」、社会的不確実性がある状態で相手を信用することを「信頼」と定義します。

日本は安心社会だったが信頼社会へ過渡していると主張しています。

日本の大企業などは終身雇用などと言われますが、日本人が長期的に企業に勤めるのは好きだからではありません(いわゆる愛社精神のある人の割合をみると、日本はアメリカの半分以下なのです)。

制度的に一度入社した企業を辞めずらいから辞めないだけなのです。

高度成長期は日本型の安心社会は有効に機能したのですが、社会変動の結果、あまりにも日本型安心社会はコストが高くつくようになり維持が困難となっています。

そのため日本の安心社会は崩壊しつつあるという論です。

・「安心」を重視する人は周囲の人間関係をよく察知でき,「信頼」を重視する人は知らない人をより正確に評価できる。

「安心」は内向きで「信頼」は外向きと表現できます。「安心」にかかるコスト(リスク)が大きくなった今,「信頼」によって未来を切り開くべきだとあります。

「信頼」できる社会にするためにも,透明性の高い世の中になるべきだとも主張しています。

・日本人はアメリカ人よりも個人主義。

社会的に長期的関係を維持させるような制度があるせいで裏切れないだけであり(例えば村八分などの社会的サンクション)、日本人はそうしたサンクションがなければ極めて個人主義的に行動するという実験結果なのです。

・一般的信頼の水準の低い人は、「他人に対する共感性が低く、対人関係に不安を感じており、対人関係に積極的に対処できず、孤独感を感じている」

最初から「他人を見たら泥棒と思え」と決めてかかっている「社会的びくびく人間」なのだというのです。

彼らは、「やくざ型コミットメント関係」にとらわれており、社会一般において享受すべき諸利益を自ら放棄しているのです。

わが国は、国際的に見て、リスク回避傾向の高さと一般的信頼の水準の低さとが顕著に認められています。

前者はホフステッドのカルチャーコンパスでも同じ結果になっていましたね。

「偏差値の低い大学の卒業生は、最初から社会的・経済的にさまざまな機会が限られてしまっているだけではなく、一般的信頼をもたず、逆に『人を見たら泥棒と思え』という信念をもつことで、機会を積極的に求める途を自ら閉ざしてしまう可能性がある」

悲しすぎますね。

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