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ハイエナに会いに行く。~マサイ・マラ#8~

マサイマラ最終日、ナイバシャ湖を経由し僕たちはナイロビに帰った。

来た道と同じように悪路に顔を歪めながら一本道をひた走るサファリカーの後部座席で後ろを振り返った。


僕は自分の顔よりも大きな塊肉を咥え逃げるように走り去って行くハイエナの姿を思い出していた

顔は黒く、斑点模様の皮膚は泥で汚れ、尻すぼみの体形がみすぼらしいブチハイエナだ。

数年前、ある動物園で初めてハイエナを見たときのことだ

ハイエナを見れたことに感動したのも確かだったが、その反面何か物足りなさも感じていた

それは感覚的にここにいるのは動物園のハイエナだということをわかっていた

しかし、何が足りないのかそれ自体はわからなかった。

それから数年後、サバンナでバッファローの肉を咥え我々から遠ざかっていくハイエナの後ろ姿を見たときその物足りなさの正体が分かったような気がした。

それは、”生” へ向かう意志があの動物園のハイエナたちにはなかったのだ

あのハイエナたちは ”生” が停滞していた、つまり ”死” に向かって生きているのだ

僕はあの時そんなことを心のどこかで感じていたのだ。


サファリカーの上から眺める朝日が今でも目に焼き付いている

靄がかかるフィールド内で身体をぶつけ合いながらコミュニケーションを図るヌーの兄弟

母親の横に並び耳を立て遠くを見つめるチーターの目には何が映っていたのだろうか

ライオンのプライドに奇声を上げながら威嚇する成獣のゾウ

ぷかぷかと川に浮いているカバ、のそのそと岸に上がるナイルワニ

大草原の草を食むインパラやシマウマ、木の上の果実をむしるキリン

角とあばらだけになったバッファローの骸、それに群がるジャッカル、ハイエナ、ハゲワシ、

あそこで生きる彼らは死ぬことや生きることをどう捉えているのだろうか。

野生動物を観察しているといろんな感情や問が次々に湧き上がってくる

しかし、その感情や問を一つずつ整理し答えを求めるにはあまりにも時間が短すぎた

いや、サバンナを目の前にしてそんな感情や問など無意味なのかもしれない

彼らは過酷な状況の中で進化の過程を経て、今この地球上に生き残っている

ただそれだけが事実で、それ以外誰もわからないのかもしれない。

野生動物の心の内を知ろうなど人間側に立った浅はかな考えなのかもしれない。


僕たちを乗せたサファリカーはようやくナイロビに到着し、各々を宿まで送り届けた

僕はゲストハウスに到着し、明日の帰国の準備を整え眠りについた。

長い旅が終わるのだ。


つづく











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