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能みたいな戯曲「西の鼻」の、ごくラフな構想の、メモ

※本レポートは、2020年に「クリエイティブアイランド中之島」旧公式サイトに掲載された記事を再録、ご紹介しています。


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独特の言語・身体表現を通じて現代社会を捉えた作品を世界各地で発表し続ける、演劇ユニット・チェルフィッチュ主宰の岡田利規は、2019年2月のフィールドリサーチを通じて、中之島の最西端の空白地帯「西の鼻」をモチーフに、”映像演劇”作品のための劇作を構想しました。岡田が書き下ろした作品の前段階となる序文を掲載します。

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二〇一九年二月のはじめ、中之島のリサーチと称して、島内をぐるっと歩いてまわった。島の西端を訪れたとき、まるで活用されることなくうち捨てられたようになっているその小さな一角の趣きに、なんとなく心惹かれた。東の端は公園として整備され、噴水も取り付けられて立派にフィーチャーされているのに引き替え、西の端っこの、このうらさびしさ。なんだか能の物語の舞台となる歌枕か何かのように思えてきた。そこが「西の鼻」と通称されていると知る。「西の鼻」という演題の、能のような戯曲を書いてみたくなった。

冒頭だけ書いてみたんですけど、ワキを演じる役者が登場して--

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ワキ
今からするのは、まさか自分が能に出てくるワキのお坊さんみたいな役回りを演じるときがやってくるなんてゆめゆめ思ってもみなかったよという話なんですけれども。

わたしはそれまでにも仕事の用事で大阪には何度か来たことならありましたけれども、あとは普通に観光ですね、USJとか吉本新喜劇、お好み焼きとか串カツとか、そういうのを普通に楽しみに友達と大阪に遊びに来たこともありましたけれども、大阪で暮らしたことはありません。滞在にしたって長いときでも四泊、五泊がせいぜいですし、そもそも関東の出身で、生まれてから現在にいたるまで暮らしてきたのはずっとわたしは首都圏で、そうい
うわけで、大阪のことはほとんどなにも知らないに等しいと言いますか。中之島が島だということでさえ、ついこないだまで知らなかったわけです。

存在はもちろん知ってましたよ中之島の。なんとなく、大阪の小ぎれいエリアなんでしょ美術館がいくつかあったり、おしゃれカフェみたいのもあったりして、ぐらいのイメージも持ってました。でも、島だというのは知らなかった。知らなかったと言うか、中之島が島かどうかというのを強く意識したことがなかったと言いますか。地名に「島」と付いていたって島でもなんでもない陸続きのところだっていっぱいありますし、たとえばそうですね、福島県の福島だって、別に島じゃないわけで。

けれどもある日の早朝、そのときわたしは出張中で大阪に来ていたんですけれども、そして中之島から少し南に位置する御堂筋沿いのビジネスホテルにそのときは宿泊していたんですけれども、まだ六時前だったのですが、ぱっと目が覚めまして、それが普段の自分からしたらかなり珍しいくらい、気持ちのよい目覚めの部類に入るものでしたし、それに春のはじめの晴れた朝の空は、ホテルの部屋の窓越しに見ていてさえ、うららかだったので、ふと、中之島をぶらぶら散歩してみようと思い立ったのです。

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--みたいな感じ。

で、ここからはこの人物(ところでこれ誰なんだろう? わたし自身?)が中之島を歩いてまわる、道行のパート。御堂筋をあがって淀屋橋を渡って中之島に入り、まずは東に向かう。北浜テラスを右手に眺めつつ、東洋陶磁美術館、バラ園を通り抜け、東の端の中之島公園。噴水も取り付けられ、家族連れやカップルにはうってつけの場所。このときこの、もしかしたら私自身なのかもしれない人物は、ふと思う。では中之島の反対側、西側の端はいったいどうなっているのだろう? Google Map を見てみる(これは中之島が島なのだと初めてはっきり認識した瞬間でもあった)と、西の端は史跡を示すマークとともに「中之島最先端」と表示されているものの、公園になったりしているわけでもないようだ。この目で様子を確かめなければということで、中之島を横断して西まで行ってみることにする。

憩いの空間という趣きの東側。重厚な権威感をたたえた建物もちらほら見える、エスタブリッシュメントな雰囲気の中央部、さらに西に行けばビジネス街。いずれにしても、島は全体的にものすごく現代的。手入れが行き届いていて、豊かな感じ。人間に喩えるならば、ぼんぼん、といった感じ。

しかし、そう思った矢先、造成中の新しい美術館が造成中の敷地をすぎたあたりから、様子が変わる。このあたりから急激に、よく言えば昔ながらの素朴な佇まいと言えるが、島の大部分享受している現代的発展から取り残された感じのエリアに、がらっと変わる。

そして西の最先端に辿り着く。するとそこは、うち捨てられたような、うら寂しい一角だった。コンクリートできれいな弧の形に固められている。ひとりでぼうっとするのに、あるいは数人でたむろして無為に時を過ごすのに適した場所のようにも見えるし、実際そのようにここで過ごしている人がいるのを想像するのは難くない。実際、ペットボトルやプラスチックの容器といったゴミが捨てられている。でもこの場所で誰かがひとときを過ごした際のものなのか、それとも、すぐ手前にかかる歩道を通りすがった者が投げ捨てただけのものなのかはわからない。歩道とこの先端部の境に柵が設置されている。それをわざわざ乗り越えるのでなければ、西の先端に立つことはできない。東の先端があれだけ大切に活用されているのとは大違いで、切ない気持ちになる。

さて、能であればここで、ワキ僧は地元の人間と遭遇し、この地にまつわるエピソードを聞くことになる。その人物はここに現れてもよいけれども、中の島センタービルの十階の展望スペースに現れてもよいだろう。そこからはこの西の先端部がとてもよく見わたせるから。ともかくワキは、その人物から、ここが「西の鼻」と呼ばれていることや、ここが宮本輝の有名な小説「泥の河」の舞台であることなどを聞かされるだろう。

そしてそこから、この話はどのように展開していくのか。現時点ではまだよくわからない。

できればもう少し中之島リサーチを継続したい。具体的には、西の鼻がコンクリートによってこのような形に工事されるまでの経緯などを知りたい。それを知るなかで、そこにはどんな幽霊がいるのかということも、わかってくるのではないかと思う。

                                                                                            (写真:松見拓也)

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岡田利規  Toshiki Okada
1973 年横浜生まれ、熊本在住。従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。主な受賞歴は、『三月の5 日間』にて第49回岸田國士戯曲賞、小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』にて第2 回大江健三郎賞。「横浜トリエンナーレ2008」出品作家。2016 年よりドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品の演出を3 シーズンにわたって務めた。https://chelfitsch.net/

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