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{日記} 『母という呪縛 娘という牢獄』 感想 {6/5}


齋藤彩 『母という呪縛 娘という牢獄』、読了。
ここ数年のわたしの思考のうちの結構な上位を占める「母と娘」問題が絡んでくる本である。また、犯罪心理というか、そういったものにも興味があるので、それにも関わってくることから、絶対に読まなければと思っていた。
この本では、母から生きる上で様々なことを強制されてきた女性が、どうして母殺しに至ったかまでの出来事が本人への取材を通し、まるで本人が当時を回想しながら語っているかのような語り口で、母や本人のラインのやりとりなども交えながら綴られており、実にリアルというか、より身に迫るものがある。
もちろん、殺人は到底許されるべきではない。決して起こってはいけないし起こしてもならないものだ。そのことは大前提として、彼女がそういうことをしてしまうほど追い込まれてしまった理由には同情…いや、切なさを感じざるを得ない。
彼女は母親から何もかも「自分の思う通り」に生きるように指示され続けていた。彼女は母親の「所有物」であった。子供だった彼女が何の気なしに抱いた「医者になる」という夢は、彼女の、そして母の「呪縛」となった。
それが子供が漠然と抱く「かわいい夢」として処理されることはなく、母の中では「有言実行して当然のもの」として処理されてしまったようだ。母の徹底的な監視の下での医大合格へのための勉強生活が始まるが、結果として彼女は9浪という、にっちもさっちもいかなくなるかもしれないところまで来てしまう。彼女は何度も母から逃げ出そうとするが、その度に邪魔をされて連れ戻されたり、確かに楽しかったはずの母との数少ない穏やかな日々も「母の演技」であることが判明したり、やっと看護師として就職出来るかと思えば「看護なんてバカのすること」などと到底有り得ない罵詈雑言を浴びせられたり…。
これで精神が侵されない人間がいようかと思う程の状況下で彼女は生きてきた。それでも、彼女の真意は分からないが、ラインの端々には母への気遣いというか、母に認めて貰おうとする努力が見えていた(ちょっとでも機嫌を損ねると罵詈雑言を浴びせてくる母親の顔色を窺っていただけなのかも知れないが)。ただ、掲載されているラインを見る限り、彼女は一度も何か無謀な提案をしているようには見えなかった。あくまで、母の意見を出来るだけ尊重し、自分の考えとの折衷案を、建設的な文章で伝えているように見えた。むしろ、母の方がそのラインに対し、ヒステリックに「アンタのせいでわたしは不幸になった!死ね!」と娘への不満を捲し立てている。
本書では、あくまで娘への取材がメインなので、母親がどうしてそうなってしまったのかは分からない。また、娘もその理由が分かるくらいに母親との対話が可能だったなら、「母殺し」という結果にはならなかっただろう。
子供は親の所有物ではないが、「母と娘」問題に出て来るような事例では母が娘を自分と同一化する(しようとする)あまりに、「わたしのようになれ、あるいはわたしのようにならないでほしい・わたしを超えろ」と過度で様々な《期待》を娘に強いて「所有物」のように扱うことが多いような気がする。娘の方も、母を鬱陶しく感じながらも、どうしても「母という存在(から与えられる愛)」が諦めきれていない。ここにはきっと同性別だからとか、そういうこと以外にも理由があるはずだ。母と娘にはお互いを簡単に見限ることの出来ない「何か」の呪縛がそこにはある。いまだその「何か」がなんなのか、わたしには…いや、誰にも本当には分からないままだ。

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