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{日記} Twitter、逝っちまうのかよ…? {7/3}


いよいよTwitterが危ないかもしれない。
タイムラインが見れないと頭で分かってはいながら、癖で一向に更新されない画面を1日に何回も開いてしまう。フォロワーに伝わっているのか?誰が見ているのか?と思いながらも、ツイートは出来るのでツイートしてしまう。

しかし、何回も開いてしまうとはいえ、当たり前だが明らかにTwitterを見る時間はいつもより少ない。こんなにTwitterを見ないのはいつぶりだろうか。Twitterを始めて早10年。わたしの人生の思い出のほとんどが詰まっていると言っても過言ではない。Twitterは間違いなく人生そのものである。こんな人生はきっと間違っている。分かっている、そんなことは。そんなこと分かり切ってTwitterをやっている。やめられたらとっくにやめているのだ。

なぜわたしにとってTwitterがこんなにも大事なのか考えてみると、まず第一に日記や思考整理の場としての役割を持つからだ。わたしの記憶と結びついているのだ。脳みそと同じ。脳みそを奪われた生き物が生きていけるか?

次にTwitterには好きなものについてたくさん語ったし、それによって出来た繋がりがある。Twitter=好きなものが詰まった場所な訳で、好きな選りすぐりのおもちゃがたくさん詰まったおもちゃ箱を取り上げられたようなものだ。

あとはあまねく人間を垣間見るツールとして優秀過ぎるということ。文字がメインだから活字欲も満たされる上に、人間という不思議な生き物の多種多様な生活を覗かせてもらえるのだ。生活だけじゃない。思考も。創作物も。リアルでは繋がることがないような人の観察が出来る。それだけでおもしろい。

…Twitterよ、終わるのか。とにかく杞憂であって欲しい。きっとわたしもみんなもTwitterが終わってもインターネットをやめることはなく、他のSNSに定住するだろう。だけど、それでも、わたしもみんなもあんたを忘れないよ。

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