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【短編小説】 夢の中で蝶が舞う 【百合】

 何度も不思議な夢を見る。
毎回風景は違うのだが、私はいつもどこかに一人立っている。
そこは草が生い茂る原っぱだったり、学校の校庭だったり、夢特有のなんにも存在しない真っ白な不思議な空間だったり…。
とにかく、いろんな場所に私は立っていて、しばらくするとそこに一匹の綺麗な蝶がどこからかふわりふわりとやって来る。蝶は、私の周りを幾度も幾度も舞い、やがて、口づけするかのように私の顔や身体のどこかにそっと止まるのである。
いつも、蝶がどこかに止まると、目がフッと醒めて、私の意識は現実に引き戻される。一度だけならば、綺麗な夢だと思うだけで気にはならないだろうが、この夢を続けて何度も何度も見るから不思議だ。夢に現れるあの蝶がなんの種類なのかということだけでも知りたいと思い、学校の図書室にあった昆虫図鑑を眺めてみたが、どうやらあの蝶はメネラウスモルフォというらしい。表の翅の色が鮮やかな青色なのに対し、裏の翅の色がくすんだ茶色というなんとも極端なコントラストが夢の中で見るあの蝶と似ていた。
夢は、過去やその日に日常で見たもの・起きたことなどを脳が整理していて、それが睡眠中、断片的に映像として無意識に現れたものだ、という話を聞いたことがあった。これも何かの「整理」なのかと考えてみたものの、そもそもメネラウスモルフォは、南米に生息しており、私とメネラウスモルフォの関係性などあるはずもなかった。
何か夢の解明のヒントになればと調べてはみたものの、謎は深まるばかり。私の脳には、図鑑のメネラウスモルフォの翅の鮮やかな青色だけがこびりつく結果となった。

***

「棗ちゃん、どしたん?随分浮かない顔じゃん!」
授業が終わり、チャイムが鳴ると早々に私の「悩みの種」の一つに話しかけられた。私が通うこの学校には珍しい、砕けた口調のこの子は深見牡丹といって、隣の席の生徒だ。
「…深見さん、その話し方ではまた先生方に怒られてしまいますわよ」
「え〜?もう先生いないし、いいじゃん!棗ちゃんは真面目ちゃんだなあ〜!」
「私、貴女にちゃん付けで呼ばれるほど貴女と仲良くなったつもりはなくてよ」
「アハハ!そうだっけ?じゃあ〜…”棗″って呼んじゃう?」
「………」
深見牡丹は常にこんな調子で、私に飽きもせず絡んで来る。「深見牡丹」なんて上品な名前とは異なり、校内では有名なお転婆娘である。いつも先生方からお叱りを受けては、走って逃げ回っている。そのくせ、頭は良く、私といつも学年一位の座を争っている。
何故か彼女とは中等部の頃からずっと席が近く、真面目な私と問題児の彼女は比較の対象だった。学校生活を平穏に過ごしたい私としては、そういうことで騒ぎ立てられるのは避けたかったが、不思議なことに深見牡丹が私になにかとちょっかいをかけてくるものだから、周りは余計騒ぎ立てるのだった。校内では「相庭棗派」か「深見牡丹派」か、はたまた「どっちも派」であるかなどといったことを生徒たちがきゃっきゃと楽しそうに話す始末だ。
深見牡丹は、この学校には相応しくない問題児ではあるが、その他の生徒にはない奔放さに整った顔立ちが相まって生徒たちに好かれている。友人も多いだろうに、私ばかりに構う理由が分からなかった。
「で、なんでそんな浮かない顔してるの?」
「…貴女に話してもしょうがないことよ」
「またそんなこと言ってる!教えてよ〜!」
私が黙ろうがめげずに、まるで、親友のように話しかけて来る彼女を、鬱陶しいとは思いつつ、私は嫌いにはなれなかった。彼女の青みがかった瞳が私だけを見つめるのも、嫌いではなかった。
今日もまた、溜息をつきながら彼女の相手をしてしまう。
「…最近、不思議な夢を見るのよ」
「夢?」
「そう、夢。一匹の蝶がどこからかやって来ては、私の周りを少し飛んだ後、私の顔や身体やどこかに止まるのよ。そこで目が醒めるの」
「…ふうん?綺麗な夢でいいじゃん」
「でも、最近同じ夢を毎日見ているし、場所は変わるのに、来る蝶は必ず同じ蝶なのよ」
「たしかにそれは不思議かも?」
「…でしょう?その蝶のことを夜遅くまで考えているものだから、寝不足なの」
「へ〜、それにしても棗ちゃんは夢にまで真面目ちゃんなんだね〜」
「…貴女に話した私が馬鹿でしたわ」
「あ、怒った?」
私に呆れられた彼女は、悪びれもせずゆるやかに巻かれた茶色の髪をくるくると指で弄びながら笑っていた。すると、次の授業の始まりを知らせるチャイムが鳴ったので、彼女に席に座るよう促した。彼女は少し不満そうだったが、「はいはい、真面目なんだから、棗は」と言いながら大人しく席に着いた。しれっと呼び捨てにされていることに気が付いたが、何故か注意する気にはなれなかった。
彼女が座るやいなや先生が入って来て、授業が始まったが、以前として私の頭の中はメネラウスモルフォのことばかりだった。

***

「棗さあ、夢占いって知ってる?」
「夢占い?」
今日も今日とて、休み時間になれば、隣から椅子ごとこちらにぐいぐいと近付いては私に深見牡丹は話しかける。もはや、この問題児は私のことを呼び捨てで呼ぶことにしたらしく、私も今更注意するのも変だろうかと思い、指摘出来ずにいる。
「そう、夢占い!棗が悩んでたから、あたし調べたんだ〜!」
夢占い。確かに、今まで蝶に思考が行き過ぎて、根本的な夢全体について調べることをすっかり忘れていた。彼女は、短くしたスカートのポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出して、調べて来たのであろうメモを読み始めた。
「えっとね〜、夢にちょうちょが出て来るのは、一人の女性があなたを慕っていることを表す…んだって!」
「一人の女性が…」
「うん。一匹のちょうちょだと一人の女性、複数のちょうちょだと複数の女性…みたいに、ちょうちょの数だけ対応して増えていくらしいんだけど、前に棗が一匹って言ってたから」
「そう、ですのね…調べてくれてありがとうございます。それに関してはお礼を言いますわ」
「いーえ!あ、ちょうちょの種類や色でも意味が変わって来るってのも、ネットに書いてあったかな。そういえば、棗の夢に出て来るちょうちょはどんななの?」
「ああ、それなら、図鑑で調べましたの。あの蝶は恐らく、メネラウスモルフォと言って…」
そこで、彼女と目が合い、私は気付いてしまった。
彼女の青い瞳、茶色い髪…。
私の夢の中で舞い踊る蝶と同じ色…。
「…棗?どうした?」
突然フリーズし、彼女を見つめ続ける私を、深見牡丹が不思議そうに見つめ返して来る。
「あ、い、いえ…色が表は青、裏は茶色の…蝶だと…」
「あー!そっかあ、ちょうちょだから裏表で色が違うとかあるよね、あたしが見たサイトは一色のしか書いてなかった!これじゃあ参考にならないね、ごめん!」
「い、いえ、ありがとうございます、その、調べてくれて」
「え、全然いーよ!あたしも気になるし、なんたって棗のこと好きだから」
「す…!?」
突然放たれた「好き」というワードに、全身が一瞬で熱くなるのを感じて戸惑う。そんな私を尻目に、ケロッとした顔で深見牡丹は言う。
「え?好きに決まってるでしょ?だって、親友だよ!」
「…し、親友…になったつもりはありませんわ!」
「え〜、またそういうこと言う。棗は素直じゃないよね!まったく」
「…もうすぐ授業が始まりますわ、深見さん、自分の席にお戻りになって」
「もう!牡丹、でいいのに!」
深見牡丹はぶつくさと文句を言いながらも、自分の席に戻っていった。自分の席に戻った彼女は、教科書とノートを用意したかと思ったら、机に突っ伏して居眠りを始めた。眠る彼女の背中をゆったりと流れる川のような茶色の髪は、やはり、メネラウスモルフォの翅の色を思い出させた。
そして、授業中、ふと、さっき教えて貰った夢占いの話のことを考えると、何故かまた身体の奥がかあっと熱くなるのだった。

***

何もない真っ白な空間に私はいた。
上を向いても下を向いても、白、白、白。
延々と続く「白」の景色に、私はこれは夢だと気付いた。
入口らしきところも出口らしきところも見当たらないので、私は適当な場所に座り込んで、何もない「上」辺りを眺める。
しばらくして、あのメネラウスモルフォがどこからともなくふわりふわりと目の前に現れた。
またいつもの夢だ、そう思った時、いつもと違うことが起こった。
蝶が、目の前で旋回したかと思うと、眩い光に包まれて、ぐにゃりと「空間」が歪んだ。たちまち、蝶は「蝶」の形を失い、みるみる「人」の形になり…やがて「少女」の姿になった。
その少女は、紛れもなく、あの深見牡丹だった。
深見牡丹は、呆気に取られる私にふわりと舞うような足取りで近付いて来ると、目の前でしゃがんで、視線を合わせて微笑んだ。
あの蝶の翅の色のような青い瞳で、私を見つめる。
深い青色の美しさに思わず見惚れた。顔全体が熱い。
そして、彼女は私の火照った顔に手を伸ばし、優しく口付けたのだった。

そこで、意識は現実へと戻った。
戻ったとはいえ、唇には彼女の温もりがまだ残っていた。
何故、メネラウスモルフォが深見牡丹に変わったのか。
よりにもよって、あの「深見牡丹」に。
いつもそうだ。深見牡丹はいつも私を惑わせる。
私は、静かに本を読んでいたいだけなのに、いつも邪魔をする。
私は、深見牡丹が鬱陶しいのだ。
なのに、何故、心臓が鳴り止まない?何故、彼女に触れられたところ全部が火傷したみたいにじんじん痛む?
これじゃ、まるで、私…深見牡丹が…。
そもそも、何故、深見牡丹は私に構う?
何もかも、分からない。
…きっと、あの夢占いの話を深見牡丹から聞いたから、こんな夢を見ただけ。きっと、いや、絶対そうだ!
そう自分に言い聞かせ、布団を頭まで被ってまた目を閉じた。

***

「す…!?」

あたしの「好き」という言葉に一瞬で真っ赤になる、棗はすごくかわいい。あたしが、「親友だから」って言った後、ほんの少し残念そうな顔をしたのもかわいい。
一目惚れだった。初めて隣の席になって、凛と背筋を伸ばして座る棗を見た時、「お姫さまみたいだ」と思った。話し方や所作はお淑やかで、丁寧だし、艶やかな黒髪は、絹のようになめらかにまっすぐ腰まで伸びていて、あたしのくるくるの髪とは大違い。休み時間にいつも静かに本を読んでいる棗は、まるで一枚の絵のようだった。
どうしても彼女とは仲良くなりたくて、しつこいと思われているのは薄々分かってはいたが、構うのをやめられなかった。彼女の、黒い瞳があたしを映すだけで嬉しかった。
それだけで、よかった。それだけで、よかったんだけど。
あたしは、「彼女に触れたい」と強く願っている内に、彼女の夢に介入したようだった。あたしは、夢の中で、ちょうちょになって彼女に会いに行っていたらしい。不思議なこともあるものだ。彼女の夢の話を初めに聞いた時は、まさかそれが自分だとは思わなかったが、それを、今日確信した。
メネラウスモルフォ。翅の色は青と、茶色。
あたしの瞳と、髪の色。
棗もそれには気付いたようだった。それにしても、夢に出て来るちょうちょの種類まで調べるなんて、棗は本当に真面目。
せっかくだから、今夜は、「ちょうちょじゃなくて、あたしとして棗に触れたい」と願って寝てみることにした。
棗は、頭はいいけど鈍ちんだから、目の前でちょうちょがあたしに変わっても、ちょうちょが「あたしそのもの」だってことには気付かないんだろうな。
でも、あたしは、それでいい。棗の、頭の中が、あたしでいっぱいになるなら、それで。
棗、かわいい棗。大好きなあたしだけの棗。
今夜も、夢で会おうね。

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