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じゅんじゅんの話④

仕事が炎上していて更新が滞りました。先日息子孝行なお母さんの話を書きました。

新しいポケモンが出るたび、母さんにゲームをねだったのを思い出すよ。不自由で苦しかった22年間を、僕は11年で好きな色に塗り替えることが出来た気がするんだ。
息子孝行なお母さんの話/中野じゅんじゅん

僕の家も母の意向で子供の頃ゲームNG、マンガNG、クレヨンしんちゃんNG、ドラマNGでした。友達の輪にも入りづらかったし、今でも連絡を取れる小中高の友達は片手の指でおさまるぐらいです。僕の青春はリアルとセックスに明け暮れた大学4年間の不純な思い出で、4年間で18年間抑圧された若さを男の中に出し切りました。

作中のお母さんは、本人的には息子孝行な良い母親だと思ってるんですよね。息子目線だとそうではなくて、ずっと抑圧され、好きなものを好きと言えずにストレスを抱え、大人になってから親離れして幼少期の不満を取り戻しに行っている。

子供にとって「みんなと同じ」ってすごく大事なんですよね。没個性っぽく見えるけど、共通の話題が多ければ多いほど会話は弾むし、物の貸し借りや小さな勝負で同年代同士の関わり方を「みんなと同じ」を通じて覚えていく。僕はこの経験が浅くて、いまだに同期や同級生と関わるのが得意じゃないです。個性は後から出せるけど、子供の頃の「みんなと同じ」はなかなか取り戻せない。

「中野住み・筋肉質・ヒゲ・短髪」の話で僕はこんなフレーズを綴りました。

頭を使わずただ既定のテンプレに沿うことで安心感が得られたし、困らなかったし、むしろチヤホヤされた。仕事もほどほどにこなして年収650万、ゲイのメインストリームに完全に乗った僕の20代は楽勝だった。
「中野住み・筋肉質・ヒゲ・短髪」の話/中野じゅんじゅん

上記は没個性のテンプレを皮肉んで書いたのですが、今振り返るとゲイの世界においても、前述の「みんなと同じ」が実は大事なことだったのかなと思い直しました。ゲイデビューってゼロスタートで手探りで、いろんなことを短期間で覚えていく、人生における幼少期パート2なんですよね。幼少期パート2だとすれば、既定のテンプレに沿い似たような仲間でつるむのは、ゲイとして生きるための大事なステップだったのかもしれません。

今はゲームをしてもマンガを読んでもとやかく言われないので、これからポケモンスカーレットの続きをします。おやすみなさい。

じゅんじゅん。

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