2021年の向こうに

2021年、日本中のアラサーを動揺させるような訃報が届いた。9月に新型コロナウイルスによって、スリランカのポディマハッタヤさんが亡くなったのだ。ポディマハッタヤさんは日本で有名なスリランカ人ベスト3にランクインする人物であり、我々アラサーにとっては英雄である。

我々とポディマハッタヤさんとの出会いは小学4年生のときだ。光村図書出版の国語・下の教科書「一本の鉛筆の向こうに」に登場したのだ。この説明文はボクらが使う鉛筆1本が手元に届くまでに、多くの人たちの力添えがあることを紹介する文章だ。その中でポディマハッタヤさんはスリランカの鉱山で「黒鉛」を採掘する仕事に従事していると紹介された。朝も昼も夜もカレーを食べ、上裸で黒鉛を採掘する姿は多くの子どもたちに衝撃を与えた。

ちなみに、その頃アメリカではダン・ランドレスさんが木を伐採し、トニー・ゴンザレスさんがその木を大型トラックで運ぶ。黒鉛と木材は日本の山形県に届き、「大原さん」という女性が両者をつなぎ合わせて鉛筆の形にする。実はこの文章は詩人・谷川俊太郎が書いた説明文であり、説明文でありながらもどこかに人間性への尊さや他者への優しいまなざしに満ちた文章に仕上がっている。

そのような訳で、我々アラサーは9月に一斉に喪に服した(気持ちだけ)。ポディマハッタヤさん自身は生前、自分は「日本人に最も愛され、日本人を最も愛したスリランカ人だ」と述べていたそうだ。ポディマハッタヤさんのご冥福をお祈りしたい。

考えてみれば同時代を生きてきた者たちには「共通言語」が存在する。国語の教科書では「ポディマハッタヤさん」の他に、ブラジルからの留学生セルジオの残した「ブエルボ=アル=スール」というセリフなど。そのほとんどが現在の若者には通用しなくなっているが、今なおスイミーやもちもちの木、スーホの白い馬やちいちゃんのかげおくりが共通言語になり得るのは少しほほえましいものでもある。

この前、高校生たちに「君たちの共通言語となり得るとしたら、『ルロイ修道士』だね」という話をした。中学3年生の国語の教材「握手」に登場する「死」を覚悟した修道士だ。彼の残した「困難は分割せよ」とは、もとはデカルトの言葉だが、今も中高生たちにインパクトを与える言葉である。そんなある種「どうでもよい」記憶が、同世代の絆として力を発揮してくれることもあるのだよ、と彼らには話しておいた。

小学生のときは多くの子どもが「自分は何にでもなれる」と思っていた。自分はタレントにもなれるし、学校の先生にもなれるし、ポディマハッタヤさんにもなれると思っていた。ただ私は10歳のときには自分は人前で発表できるような「何か」になれる気はしていなかった。案の定、自分がポツポツと思うようになっていた、なりたい「何か」にはどれ一つとしてなることができなかった。子どものころは神童で、末は博士か大臣か。そんな幻想は10歳になる前に捨て去った。

ところが世界と言うのは広いもので、大学生になっても、あるいは大学生を過ぎても幻想から抜け出せない未熟な若者が多かった。他人に迷惑をかける理想論を語り、他人を傷つけるだけの原則論を押し付け、ああ、どうしてこうも世の中は未熟なのか、と、自分の置かれた環境に絶望することもあった。

私の生徒たちも高校生なりに成熟しており、高校生なりに未熟である。それは本人たちも自覚しているし、本人たちも苦しんでいる。しかし、そう苦しみながら日々戦うことがいかに尊いか。数年後に分かってもらえるような授業なり指導なりをしてきたつもりである。人は未熟である。しかし未熟さゆえに、人は尊いものだ。

珍しく年明け早々に静岡浅間神社に初詣に行った。「今年こそ何か良いことがあればいいな」とも思いながら、「私の人生に良いことなどもう起こり得ない」という確証もあり、「平凡なことを平凡に喜べれば良いな」という思いでお参りをした。おみくじも「吉」であってまずまずだ。

縁日の屋台が並ぶ。童心に帰ってフランクフルトを2本買う。それを写真に撮り、あたかも誰かと2人で初詣に来たかのようにインスタグラムに乗せる。もちろん、独りぼっちの初詣である。この「一本のフランクフルトの向こうに」もたくさんの人の力があるわけであり、同様に私が日々対する「一人の高校生の向こうに」もたくさんの人たちの支えがある。そういうことに気づかせられるような「先生」でいられるだろうか。

「一本のフランクフルトの向こうに」・「一本のチーズハットクの向こうに」・「一本のチョコバナナの向こうに」とやっていたら、両手で持ちきれない量の「お土産」になってしまった。ポディマハッタヤさんのように上裸を見せられる日が来るのは遠そうだ。

ありがとう、2021年。

がんばろう、2022年。


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