【生徒のつぶやき】2022年5月2日

「東京大学の入学式の祝辞で、ある人が『ロシアを悪者にするのは簡単だ』と発言されたそうです。真意はどこにあるのでしょうか?」

〔代表より〕
この祝辞を文字でではありますが、私も読みました。極めて東京大学らしい、良い祝辞だったと思います。

ご質問にお答えする前に、大学入試の国語の話題を一つ。現代文では昔から「正常と異常」についての評論がよく出題されます。頻出文集などで読んだことがある人もいることでしょう。多くの人が、「正常という状態があって、そこからはみ出たものが異常だ」と考えがちです。ところが、歴史をよくよく探ってみると、「異常がまずあって、そこから正常が生み出される」というのが世の常なのです。

こういうと不思議に思うかもしれません。ただ、私もこれは世の常だと思います。人は、自分たちとは違う人々、あるいは自分たちにとって多少違和感を抱く人々を「異常」の側に置きます。そして、「自分たちは異常の側にはいないから、正常なのだ」と主張するのです。西欧では中世以降現代にいたるまで、この論理はよく用いられました。

一番わかりやすい例で挙げれば、「魔女狩り」でしょう。「あいつは自分たちよりも劣っている」あるいは「あいつは自分たちより秀ですぎている」という恐怖や妬みから、「あいつは魔女(=異常)だ」という主張に繋がりました。そして、この主張は「異常者を告発した自分は正常である」という主張と表裏一体であることは明らかでしょう。

相手を「異常だ」と主張することで、人間は自分が「正常」の側にいたいのです。自分が「正常である」、すなわち「迫害されない(迫害されるべきではない)」と思いたいのです。この理屈は何も魔女狩りだけではありません。ハンセン病や梅毒など病気に対する差別。「未開」の文化は劣っているとみなす差別。近年ではLGBTQに対する差別。こういった差別の本質は、自分の考えと相容れない存在を「異常だ」と思う(思いたい)心情なのです。

話を質問に戻しましょう。「ロシアを悪者にするのは簡単だ」という意味がもうおわかりでしょう。何の留保もなく「一方が悪だ」と主張するのは、無条件で「自分たちは正義だ」と主張するのとまったく同じです。この主張が危険であることは、先の日中戦争・太平洋戦争と戦後の復興を経験してきた日本人なら、その質や内容に差こそあれ、痛感するところでしょう。同じ話で、ロシアを悪だという前提から話を進めることで、私たちは実はとんでもない過ちを犯してしまう危険性をはらんでいるのです。

もちろん、ロシアの歴史、ウクライナの歴史、あるいはヨーロッパの歴史、アメリカの歴史の基本を一通り学習したうえで、「やっぱりロシアは悪だ」と思ったり考えたりすることは自由です。そして、東京大学はこれらを一通り学習できる環境と、どのような思想であってもそれが正当な経験を経たものであるならば迫害されない環境が整っています。そういう意味で、今年の祝辞は実に東大らしい祝辞でした。

念のため。あの祝辞にはその当人が「ロシアを悪だとは思っていない」とは一言も触れられていません。そのことにすら気づけない人は、大学とはどのような場所なのか、もう一度考え直した方が良いのではないでしょうか。

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