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2019年の締めくくり:あと3か月で21歳になる医学生の他愛ない日記

こんばんは、今は2019年12月28日20時28分です。
短い冬休みが始まって三日目の今日、まだ実家に帰省していない私は、大学がある街で一人過ごしました。

こういったデスマス口調で文章を書くのは自分にとって珍しいことです。なぜデスマス口調なのかというと、誰かに伝えたいと思ったからです。逆に言えば、今までは自分がただアウトプットしたいという欲求を満たすためだけに文章を綴ってきました。自分の内面というか、感情の機微というか、日々の他愛ない出来事に対する自分の反応を文字にすることで、実感を持って振り返りたいという目的がありました。それは過去を反省するために利用することもできるし、何より、コンスタントにそれを続けることで自己の変化を時系列に沿って可視化できるので単純に面白いというのが大きな理由でした。

今回、誰かに伝えたいと思ったきっかけは、Kish. さんの文章を読んだことです。彼は以前から素敵な文章を書くなぁと思っていた方で、ただつらつらと自己の内面をさらけ出してしまう私とは異なり、自分を赤裸々に語りつつも、それを読んだ誰かに何か暖かいもの、強いもの、柔らかいものを、すごくじんわりと与え、訴えかけ、魅了する文章を書くのです。そういう文章力の面でも勉強になりますし、内容自体も非常に感化されるものとなっています。彼の文章もぜひ読んでみてください。

あ、ちなみに、タイトルの上の写真は某人気オムライス屋さんでの一枚です。今日の文章とはあまり関係ありません。しかし、全く関係ないわけではなくて。ちょうど、去年の一月初旬だったでしょうか…ある大きなできごとがあって非常に落ち込み、精神がひん曲がりかけていた私を、親友がオムライス屋さんに連れて行ってくれたときに注文した一品です。美味しい食べ物は自然と笑顔を思い出させてくれました。

突然ですが、私はとある大学の医学生です(プロフィールに書いてある通り)。
生まれは、深い雪国。そして、日射量がとてつもなく少ない笑(みんな白い顔してるけど元気ですよ!)。色々なランキングでワーストトップを近隣の都道府県と競っている、そんな故郷で育ちました。もちろん誇れることもたくさんあります。というか、他人に誇れるとか関係なしに、故郷は大好きです。今のような寒い時期になると食べる頻度が高くなるきりたんぽ鍋とか、冬はかまくらを作れるところとか、曲げわっぱの弁当箱を使っている高校生の割合がめっちゃ高いとか。何より私の場合は、仲良しな家族が住んでいる街だから、かもしれません笑。

大学受験は一度失敗?しています(?の理由は、失敗と呼んでいいものかわからないからです。人生の中でそんなに大した失敗ではないと既に思っているので自分にとってはそんなものなんでしょう)。で、ある夢を叶えるためには所謂「医学部医学科」に入る必要があったため、一年だけ浪人生として生きる権利を両親からいただきました。金銭面で本当に迷惑を掛けましたが、文句ひとつ言わずに私を応援してくれたことに感謝しています。非常にありがたかったです。浪人時代は、とある地方の中堅都市で過ごしました。初めての寮生活、故郷よりもはるかに発展した都会の街並みにうっとりしながらの結構楽しい一年弱はあっという間に過ぎていきました。

大学受験二年目は志望大学に無事合格し、さぁ夢への第一歩だ!と言わんばかりに希望に満ち溢れ、自信に満ち溢れた、青い、あおーい私がそこにはいました。勉強わくわくわくわくわくわくわくわくわくって感じでした。新しい場所というのはあんなにも魅力的に感じるのでしょうか、あんなにも興奮するものなんでしょうか?…この大学で二年間弱過ごしてきた今の私にはもう分からない感覚です。あの頃の私は、自分でいうのもなんですが…めっちゃ輝いていました笑。そんで、今の私は…めっちゃ老けました笑。よく言えば落ち着いたね、ってとこでしょうか。実際、色々な場所へ出かけて初対面の大人の方にだいぶ老けて見られることが多くなりました。因果関係は分かりませんがね。先日のクリスマスに寄ったバーでは「仕事帰りですか?」って店主に聞かれちゃいました(´;ω;`)笑。

大学に入ってすぐの頃、私はいろいろなものに満たされ、幸福感が高かったです。そう感じることのできる精神状態が整っていたともいえます。恋人もいましたしね笑(遠距離でしたが)。今では、あのころ自分を取り巻いていた人間関係であったり、その他の環境であったり、そういったものすべてに懐かしさを感じ、愛しく感じてしまいます。過去を羨むような感情を抱いているという事実は、今をちゃんと生きているのかな?と不安になる要素です。ただし、幼い頃から過去の思い出を丁寧になぞってノスタルジーに浸る時間を割と多めに取るタイプの人間だったので、さして違和感はありませんし、悪いことだとも思いません。とはいえ、やはりもうちょっと過去から脱出したい!と思っているのも事実です。

先ほどオムライスの話でちらっと触れた「大きなできごと」が自分の精神状態を変える契機でした。それはこの先もずっと私に重く付きまとうでしょうが、自分が今のままじゃだめだなって強く確信して動き出すことができた機会でもあるので、大きなチャンスだったと捉えています。冷静にそう考えることができるようになったのはつい最近です。お恥ずかしながら、一年近くもその「大きなできごと」を引きずってしまいました。自分の弱さを知った一年弱でした。浪人時代なんて全然比にならないくらい、です。

今年は何をしてきたかを、ちょっとだけ書きます(本業?の医学のことには全く触れません)。

二年生の授業は、去年とは比べ物にならないくらいコマが詰まっていました。シラバスを見るとひええええっと声に出してしまうくらい。朝から晩まで学校に缶詰め状態の日々でした。初めて勉強が嫌いになりそうになったのは不本意でしたが、前期が終わった夏休みは、かなり息抜きをすることができました。次のセメスターに向けた振り返りと行動設定を立てる時間をとることもでき、目的に向かって実際に動き始めることもできました。そのころは精神的に病んでいた自分にしては上出来だ、と大袈裟に自分をほめてあげました。当時はいつでも涙を流せるくらい病んでいましたから。
少し落ち着いた夏休みの終盤は、友達と一晩中語り合ったり、夜の城(公園)を散歩したり、ガ○トで徹夜でコード書いたり、と大学生らしい日々を体験してみました。
これもいつか思い出して愛しくなっちゃうのかもしれないな…なんて考えていたので、二度とこない日々だということを意識して過ごしたのですが、多分この先思い出した時にはやっぱり何か切ないものを感じてしまうのだろうなと思います。今想っても足りないってことです。いくら先読みして強く想おうとしても、未来の自分から見たらやっぱり足りないっていう。不思議ですよね。何かを失ってから気づく人間の性の根本が知りたくなってしまいます。

後期は前期以上に科目が増え、日々覚えることが大量にあります。が、前期である程度要領を得たため、試験勉強についてはあまり苦労していません。以前から研究したかったことに携わることができ、充実した日々を送っています。昨日で学校が閉まってしまったのですが、ぎりぎりまでラボで顕微鏡撮影をしていました。
一年前は想像もしていませんでした。「大きなできごと」から立ち直る自信がなかったからです。ですが、今こうやって生きています。元気に毎朝起きて、ごはん食べて、勉強して、たまに友達とごはんに行って、学会に行ったりセミナーに参加したり。なりたいもの、やりたいこと、行きたいところはたくさんあり、尽きることがありません。なので、毎日が楽しいのです。

「大きなできごと」と綴ってきましたが、実際はそんなに大きなできごとでもないかもしれません。最近やっとそう思うようになりました…人生100年で見れば。ですが、当時の私にとってはとてもとても大事なことだったのです。その時抱いた感情を、今も大事にとっておきたいと、思っているのです。だから、大きなできごと、と書かせてもらいました。

今ではすべてに感謝しています。自信たっぷりでちょっと謙虚さが足りなくて、あまり考えずに猪みたいに突っ走る、ちょっと落ち着きのない私に、多くの学びをくれました。私と出会ってくれて、大切な時間を分けてくれて、ありがとうございました。あの時言えなかった言葉を今、送ります。

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