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「ここじゃないどこか」はちゃんとある(と信じている)話

私は学校(義務教育)が嫌いだった。
決められたことを学ばなければならないのが嫌だったし、2人1組で行動できなかったし、無視されたりいじめられたこともあるし、授業中に泣き出したり、勝手に抜けた記憶もある。
嫌いでしょうがなかったので早く大学にいきたくて(好きなことが学べて付き合うひとも選べて自由だと思った)だったら「どうして嫌いになったのか」を知りたくて教育を学ぶことにした。
大学で「生涯教育」という言葉に出会ってから、学校で教育を受けることが全てではなかったんだと知って、途端に世界が広がった。あの頃毎日のように聴いていたラジオ番組SCHOOL OF LOCK(東京FM)もちゃんと学校だったんだと納得できて、居場所とは目の前に広がる場所だけではないのだと気がついた。

どうしてそんなことを書いたのかというと、ここ何ヶ月か旭川の中学生がいじめで自殺したニュースについて考えているからである。その内容と死体が見つかった冷たい川を想像してあまりにもショッキングで目が離せなくなってしまった。いくつか関連記事を目にするなかで、彼女はネット配信者にも相談していたようで肉声が残っていた。時代だなあと思いつつも生の声が聴ける貴重な映像を心して見ると、そこには自らを冷静に捉え聡明であるがゆえにあらゆることに気がついてしまうような口ぶりの女の子がいた。

話は戻るが私の卒業論文は『居場所を失う若者たち』と題してどんなときにそこが居場所であると感じるか、それを失ったひとに対して周りはどう振る舞うことで取り戻していけるようになるのかなどを考察したものだった。特に成績が良いわけでもないので取るに足らない一考だけれども、フィールドワークなんかもしたりして自分の中にある居場所問題に一応は蹴りをつけられたと思う。
居場所はひとが生きていくためにかけがえのないものだ。ただ呼吸して、食べて、寝て、それだけじゃ生きていけない。学校(職場)・家庭ではないサードプレイスが必要と謳われて久しいけれど、まだまだ自分でサードプレイスを見つけたり作っていくことは難しい。日々生活していて何か大きなストレスがあるとき「あー、ここじゃないどこかへ行きたい」と思うことは多々ある。私なんかのそれは軽いものだけれど、中学生・高校生のときに感じる「ここじゃないどこかへ」願望はもっと大きくて、ずっしりと重くのしかかってくるものなんじゃないかな。彼女はネット配信者だけではなく、電話相談も利用していたらしい。セーフティーネットは少なからずあったのに、なぜ、、、なんて思いが溢れてしまった。

ここじゃないどこか、はどこでも良いわけじゃない。思いっきり呼吸ができて、顔が自然に柔らかくなって、肩の力が抜けていくような時間と空間が保障されている必要がある。でもそれって、そんなことって本当にあるの?と、この抜け出せない日々を前進しているのか後退しているのか分からないまま歩いている(いや止まって耐えているかもしれない)うちに不安になってくる。「ああ、やっぱり無かったんだ」と絶望したとき人はあらぬ方向を選択してしまうことがあるのかなと思う。
わたしがこんなふうにつらつらと書いているのは「ここじゃないどこかはある」というおぼろげな真実を広めていくためである。その場所はいま目の前にはないけれど、探したり作ったりする努力を惜しまなければいつか自分の周りに広がっていたりする。でもそれは信じている人にしかできないことなので、想いが途切れそうな時にどうか少しでも思い出してもらいたい。

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