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コロナ禍の中で 〜こんなことしたり、考えたり〜

◼︎今年は新型コロナウィルスのあれこれで、演奏の機会はキャンセルと中止。レッスンのみ。

そんな中で、やるべきことといえば練習です。
が、平時でも練習はしていますね(当たり前ですが!)。

これまで、どんな練習をしてきたかといえば、生徒さんに渡した課題の見直しであったり、年一回のヘビーなリサイタル曲の練習でした。

レッスンを通していろんな要素や訓練を考えるうち、自分自身の技術もかなり向上してきたと思います。

人に楽器の手ほどきを始めてから、もう15年以上経っていますが、どんどん感覚の目盛りが細かくなってきています。勘違いしていたこともありましたが、それに気付けるようになりました。

◼︎一方で、街のバイオリンの先生が自主リサイタルをする意味。それは、自分のためであり、より質の高いレッスンのためです。軽い小品のコンサートでは、自分の思うレッスンに成長はない、と思ってのことです。

自分のレパートリーを広げること。
ステージの上でなにが起こるか経験を積むこと。
大事な幹は、この二つです。

レパートリーの広がりは、教材の広がりであり、奏法の語彙力の広がり。
またステージで難儀な曲を弾く経験なしに、生徒さんを本番に送り出すなんていけない、と僕は思っています。どんな演奏理論もレッスン室の中だけの実践では机上の...。
それの裏付けはやはり、一年かけてリサイタルの曲と一緒に生活する日々を9年間続けたことです。

◼︎今年はその、年一回のリサイタルも中止。
さて、何をしましょう、と中止判断をした7月に考えました。

まず、無伴奏のレパートリーのさらなる拡大。
そして今は弾けるけれど、自分がレッスンを受けた時にうまくいかず、心のどこかに引っかかっている、いくつかのフレーズの見直し。

◼︎一か月取り組んで思ったことは、バイオリンの鳴らし方の修得ステップの細部にはまだ先があること。

「弾けて当たり前、歌えて普通、語れて本物」という言葉があります。

弾けて当たり前(正しく楽器を鳴らす)、
歌えて普通(フレージングやヴィヴラート)、
の二つは、努めれば誰でも到達できるメソッドを生徒さんごとに考えてきたつもりです。

問題は、三つ目の「語れて本物」。
これは...様式やスタイルの話なのか、譜読みの話なのか、色んなことを考えさせられますね。
でも今回ココに、ものすごく細かい技術が含まれることがハッキリしてきました。

もちろん、これも本番にかけてみないことには、まだわからない部分もありますが...尊敬するヴァイオリニストの映像を見ていて、今まで気づかなかったことに気付けるようにもなりました。

今、何人かの生徒さんたちにこの技術をお話し始めていますが、なんとか「誰でも努めればできる」声がけや説明に絞り込んでいきたいと思います。

これが、今年のリサイタル代わり、です!

Skypeレッスンのカフェトーク  ↓古株講師と社長のゆるいトーク♪( ´▽`)





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