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日本とベトナムの架け橋になりたくて渡越‐夏井杏子

 なんとかしてきたから今がある
 なんとでもなるし
 なんとでもできる
 ゲッターズ飯田@getters_iida

ゲッターズ飯田Twitterより

2001年6月に監修・出版した現地発着の多国籍ツアーの体験談をまとめたムック本、「世界の仲間と旅する本。」は、「地球探検隊」にとっても、俺にとっても原点だ。その本に卒業旅行でベトナム・サパを旅した隊員キョーコ(夏井杏子)の体験談が掲載されている。

現地発着の多国籍ツアーの体験談をまとめたムック本、「世界の仲間と旅する本。」

その旅がきっかけで出産と子育てで2年半、日本に一時帰国したが通算ベトナム在住18年になる。俺も杏子と同じベトナム・サパの多国籍ツアーに参加、その後11年経って隊員(旅の参加者)を引き連れて「大人の修学旅行」で再びサパを訪れた。同じ場所を旅していてFacebookで何度もコメントをもらっていて会った気になっていたが、ZOOM越しとはいえ、直接話をするのは今回が初めてだった。写真で見た学生の頃の杏子はキラキラした目をしていた。あれから22年経った今も、杏子はベトナムの民族衣装アオザイが良く似合う気品のある女性で内面から溢れ出る美しさ、思いやりが表情に表れていた。

ベトナムとの時差2時間、ZOOMで収録した

ベトナムのビーチリゾート、ニャチャンに暮らし、3年前までベトナム人の旦那さんと旅行会社を10年経営し、今、リモートで日本の法人企業を中心に事務仕事をしながら、ベトナムや日本在住ベトナム人の日本語会話サポートに使命感を感じ、こちらの仕事にシフトしているという。対談を再び聞くと、朝の連ドラ「らんまん」で出て来た坂本龍馬のセリフ、「みんな自分の務めを持って生まれてくるがじゃき。己の心と命を燃やして何か一つ事を成すために生まれてくるがじゃ」。って、言葉が浮かんできた。1,135回目から1回10分、全4回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

杏子は、生まれも育ちも新潟県。叔母さんがアメリカ人と結婚してアメリカに暮らし、祖母も英語が話せた。だから海外が身近にあった。初めて海外に興味を持ったのは小6の時に読んだ一冊の本だった。「緑色の休み時間」、杏子の記憶の中で主人公が少年から少女に置き換わっていたが、英語の話せない主人公が身振り手振りでコミュニケーションを取りながら成長していくストーリーにワクワクした。中学時代は洋画漬けで英語に触れる日々。親友が映画の無料券を持っていて映画館に通うことができたからだ。高校時代になると、90年代の伝説のテレビドラマ「ビバリーヒルズ高校白書/ビバリーヒルズ青春白書」の影響もあって、初めてアメリカに旅行した。高1の時、祖母がアメリカに連れて行ってくれたのだ。高2になると新潟市とイギリスの国際交流都市に国際協力親善大使に選ばれて新潟市を代表して2週間イギリスにも滞在した。この経験から、「将来、海外に関わる仕事がしたい」と思うようになった。

ベトナム・ニャチャンのビーチ

高校を卒業して英語を勉強するため、短大に進学し上京した。2カ国語をあやつりカッコ良くホテルで働く映画を観た影響もあって、
「どうしてもホテルで働きたい」と思うようになった彼女は、短大を卒業後、実践的な職業能力を身につけるため3年制のホテル系の専門学校に進学した。時代は就職氷河期だったが学生時代にアルバイトをしていた第一志望のホテルに就職した。社会人になる前の最後の春休みに選んだ卒業旅行の行き先がベトナムだった。

なぜ、ベトナムを選んだのか?ベトナム人就学生ドク役の香取慎吾と日本語学校教師役の安田成美のテレビドラマ「ドク」が放映されたり、ホーチミン市内中心にあるドンコイ通りのお洒落な雑貨店がTVで紹介され、ちょっとしたベトナムブームになっていた。また専門学校の1年先輩の女性が一人でベトナムを中心にアジアをバックパッカーで旅したことを知って、「何で私はしていないんだろう?」と思った。「ベトナム、バックパック、一人旅」をキーワードに検索すると、当時、「地球探検隊」で取り扱っていた現地発着の多国籍ツアーに辿り着いた。ルームメイトのオーストラリア人女性と言葉の壁を感じつつ、持ち前のコミュ力で旅を楽しんだ。この旅で出会った日本人とは、20年以上、今も交流が続いている。その一人が俺と一緒に国内・海外を旅したリピーター隊員れいこだ。

卒業旅行を終え、念願の都内ホテルで働き始めるが旅が忘れられない。ベトナム・ハノイで出会った子供たちのキラキラしたピュアな笑顔を思い出すうち、いつしか「ベトナムと日本の懸け橋になりたい!」と思うようになった。

渡越するまで3年ホテルに勤めた。その3年間、「日本の文化を伝えられたら・・・」という思いから英会話、着付け、華道を学んだ。いつ何時も目標を持って生きるって大切だ。

そんな中、卒業したホテル系専門学校のクラスメイトから1年ずつ学生や卒業生がベトナム・ホーチミンへ研修に行っていることを知った。
「どうやって仕事を見つけたのか?」聞くと学校を通して仕事を紹介してもらえたという。学校に問い合わせると、ベトナム・ニャチャンの新規ホテルでオープニングスタッフを募集していた。応募すると面接も通って転職が決まった。準備ができた者にチャンスは巡ってくるのだ。

都内のホテルでは和食レストラン、ルームサービスなど料飲部門、ベトナム・ニャチャンでは憧れの宿泊部門に就き、やりがいを感じていた。ホテル業、旅行業は感動産業、「やりがいを感じる仕事」に共感した。ニャチャンはほとんどガイドブックに紹介されていない街。ニャチャンの観光地やお土産屋さん、スパの情報収集をしながら自ら体験し、その経験がお客様への情報提供に役立った。日本人のお客様はお正月、春休み、GW、お盆など、まとまった休みの取れる時期に滞在するが、それ以外の時期は外国人全般の接客をして契約期間満了まで2年働いた。

契約期間が切れたタイミングでニャチャンでの働きぶりが評判となってホーチミンのホテルから引き抜きがあった。そして今のご主人と出会い付き合い始めたこともあって日本に帰国しなかった。1年勤務したホーチミンのホテルで働いていた期間、偶然にもニャチャンから450km離れたホーチミンでご主人も仕事をしていた。その後、結婚のため2人でニャチャンに戻り、ご主人が旅行会社を立ち上げ、そのスタッフとして10年働いた。市内のホテルのカウンターでホテル業で培った知識と経験を活かしてコンシェルジュ(ホテルの宿泊客のあらゆる要望に対応する「総合世話係」)をやった。

「アフターコロナで・・・」と、言葉を詰まらせた杏子。夫婦で起業して10年、会社を畳むことがどれだけ苦しかったか・・・俺も22年経営していた旅行会社を倒産させた身、「もう1日、あと1日だけ頑張ろう」と続ける彼女の姿が見えた気がした。ホテル自体も営業できなくなり、閉業や廃業を余儀なくされ外国人在住者は帰国していった。

旅行会社と併設していた「旅するカフェバー」で起業の相談をしたヒカルのことを思い出した。モロッコ人と結婚し現在モロッコ在住の友人だ。ヒカルも、voicyラジオに出演した時は、旅行業もホテル業もSTOPして9ヵ月収入がなかった。その後、エコファーム・サハラをつくるためクラファンに挑戦して成功し、今がある。

働き方を変えないといけない状況の中、法人企業向けにオンラインの事務サービスの提供をする仕事を始めて3年経った。去年、ニャチャンの日本人経営者に問われた。
「何でニャチャンに住んでいるの?」
「何でベトナム人と結婚しているの?」
「まだ、あなたの夢叶ってないよね?」
その夢とは、日本とベトナムの架け橋になること。

「日本語教師の資格はなくても、日本語の会話のサポートなら私にもできる!」。そこで、ベトナムや日本在住ベトナム人の日本語会話サポートを始めると、「自分のためにも他人のためにもなって面白い!」とやりがいを感じた。できないことじゃなくて、できることにフォーカスすると良い流れをつくれる。

日本語のサポート・・・深く探究していくと、日本人が心揺さぶられる心の原点「もののあはれ」、今でいう「エモい」に近い表現・文化まで伝えられると彼ら彼女ら受講生の世界はグッと広がると思う。大切なのは、すぐに答えや結果を出すことよりも問い続けることだ。将来的には、「日本で働いた経験を持つベトナム人がベトナムに戻った時に活躍する場をつくれたら」とも考えているらしい。

「あなたは何のために、その仕事をしているのか?」答えが明確になると、人は強くなれるだけじゃない、優しくなれる。たった一人の思いで世界は変えられると信じている。

誰もが「GIFT」をもらい、「終わりなき旅」を続けているのだから。
次の扉をノックしようよ。
世界に優しさの総和が増えますように。杏子との対談で、そんなことを感じた。

 この世界が患っている最大の病は
 人々が愛されていないと感じる病だと思います。
 苦しんでいる人のために
 私にできることがあるなら、どんなことでもしたい。
 ダイアナ妃の言葉より
 NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」より

NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」より

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