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「原稿料」より「読者」のほうが人間的な暮らしをさせてくれた - [note生活|営業□報]

■トピックス

《2ヶ月ちょっとで売上100万円を超えた》
・noteにおける私の実働は毎月平均10日間
・出版社が養わなければならないのは関係者全員
・個人出版じゃ印税が出ないじゃないか!(2015/3/8)
《noteだけで充分生活費を得た感想》
・補足1:マンガ以外のコンテンツのこと
・補足2:制作に必要な日数のこと(2015/3/8)
《note連載を電子で単行本化した》(2018/7/4)

■このシリーズの概要

もともとは「他人が努力して蓄えた情報を無料で聞くわけには!」「質問に答えさせて時間を取るなら対価を払いたい!」という誠実な主義を持つ同業者の友人たちに頼まれて始めたレポートです。「お金を払わず教わってしまったら、自分も誰かに無償で利用されることを拒めなくなるので」とのこと。ありがたいです。

運営する中で気付いたことのメモ。
走り書きのメモなので要点は極力こぼさないようにしているけれど推敲や語尾の調整などしていません。ぶっきらぼうなところや雑な書き留めの箇所もあるけど、私は『ハウツー・noteビジネス』のライターではないので、業務日誌だと思って寛大に許して…。


■以下、リアルタイムのメモ

※いきなりずっこけるようなことを言うけど、「原稿料より読者のほうが人間的な暮らしをさせてくれた」というのは「私の場合」であって原稿料のほうがよっぽどいい作家も居る。そうなれなかった人のための話。

noteを初めて2ヶ月半もせずに、売上の総額は百万円を超えた。

以前『これからどうしよう』の作中で原稿料と売り上げについてを書いた際に取り上げたが、

私の平均的な漫画原稿料は1ページ15,000円だ。
100万円の大台というのは、

私の底値である1ページ【9,000円であれば112ページ】。大手〜中堅のスタート額に多い【10,000円の原稿料であれば100ページ】。私の原稿料の平均である【15,000円であれば67ページ】。私に設定されている原稿料の天井額【25,000円であれば40ページ】。

上記の通りの分量の漫画原稿を描くことで稼げる。

…ちなみに、廉価版コミックスやレディコミなどの新人相場は4,000円や5,000円も珍しくないため、業界相場の底値中の底値で計算すると、200〜250ページ描けば稼げる額面が100万円である。(各種税金に関しては無視して計算する。)

そう言ってしまうと、「あれ?じゃあ、原稿料1万円で毎月100ページ描くほうが儲かるよね!?そうすれば2ヶ月で100万円だもんね!?」という単純計算も浮かんで来る。まあ、それは確かにそうで、私は月に50ページはどんな作風でも確実に描けるので、原稿料が1万円なら丸2ヶ月あれば100万円は稼げるのだ。それどころか、作風が違えば1ヶ月で100ページ以上描くこともできる。そう考えると原稿料のほうが計算上は儲かっていることになる。——————…まあ、出版社から仕事が来れば(笑)


noteにおける私の実働は毎月平均10日間。

さて、私がnoteに割いている時間は連載5本で毎月10日。これは毎月10日しか働かず残りの20日をのんびり暮らすために設定した日数である!!——————…というのは冗談で、(仮に冗談でなかったとしても問題ないとは思っているが。)実際は、他に描きたいもの・書きたいものができた場合の余力、仕事に必要な勉強や事務・経理をする時間、それからプライベートな時間を残しておくために、10日に制限している。

この連載5本の制作〜リリースまでの所要日数が月10日というのは、まず間違いなく1人だからこそ実現できる日程であって、一般に、取引先と連携したら出せるわけがない日数だ。

企業からの依頼で連載を5本行う場合、必ず5件の打ち合わせが各社1回以上ある。すべてが同じ日に在宅で済めば良いが、そうは行かないのが当然。これがもし、取引先の会議室までの移動がありすべて別の日に割り振られたら、これだけで作業にだけ集中できる日を5日食ってしまう。(このあたりは『フリーランスの地雷原』第2話を参照されたい。)

それから打ち合わせを行い、1度で有益な打ち合わせが済めばいいが、2度3度繰り返されることもある。担当者は担当者で別件の予定があり、こちらはこちらで別件の予定があるため、なんだかんだスケジュールが合わずに日が過ぎていくこともある。

打ち合わせを終えた後、もしも取材が必要であれば取材に出ねばならない。アシスタントが必要であればシフトを交渉しておく必要があり、アシスタントに仕事を割り振る支度も必要である。当然人手が足りなかったら求人を出して選考する手間もある。面接や実技試験を行う場合は尚更だ。(取材経費も取材手当もアシスタント費用も支給されることは稀なので、安易に原稿料のすべてを利益として見積もってはいけない。)資料収集が必要であればそれを済ませておく必要がある。特殊な書類や書籍であれば取り寄せる手間も加味する。

…さて打ち合わせが済んでネームやプロットなど、物語を作る作業に着手するが、これらをすべて1日ずつで終わらせたとしても、5本で5日かかる。作画に至ってはネームなどの下準備に1日食ってしまう描き手がすべて1日ずつで終えられるわけがないので、このあたりで10日は軽くオーバーしてしまう。ネームやプロットに取引先からのゴーサインが出なければやり直すことになるし、取引先の担当者が忙しい人であれば、ゴーサインまでに2〜3日かかることもザラにある。

ページ数も事前に決められている場合が多いので「今月は取材費とアシスタント代が凄くかかるチャプターだからページをいつもより少し少なくしたい」「その代わり連載回数を増やすことでお詫びする」「その代わり手短に描けるオマケ漫画を描くから」などという融通はほとんど利かない。(出版社が人でなしだからではなく、印刷するにあたってページ数の割り振りというのは事前に決まっていなければならないためだ。だから24ページの漫画が休載する時に、もしも24ページの代替原稿がなかったら、16ページの代替原稿を載せて、残りの余白が8ページ。3ページの4コマ漫画の代替原稿を載せて、残りの余白が5ページ。1ページ休載の告知とお詫びを載せて、残りの余白が4ページ。残りの余白を広告などで埋めて、空いてしまった24ページ分の枠がなんとか印刷に至る。———といった段取りが取られる。)

「風邪をひいたので明後日の更新にさせてください」が実現するのも、(読者に許されるか許されないかはともかく、仕組みとしてそれが可能なのは、)Webで、しかも、一人で更新作業をしているからだ。「大好きだったペット死んでしまってどうしても力が出ません…更新を来週にさせてください」が実現するのも、(それを許さない読者も個々には居るだろうが、そういう形で先延ばしの相談ができるのも、)印刷の〆切と取引先との打ち合わせがないからだ。責任者が自分だからだ。「この漫画家さんはペットが死んでしまって今とても悲しんでいるから〆切を1週間延ばしてください」という理由で印刷所は待たないし、休載もできないし、その責任を取りたがる編集長も編集者もいないだろう。すべて自分で行うからこそできる相談だ。

「一人暮らしで自分のために食事を作る時に必要な時間」「友人に振る舞う料理を作る時間」「企業に依頼されて仕事として厨房を任された時の調理にかかる時間」を想定してもらえればいい。

コンビニの店員全員が風邪をひいたぐらいで、本部や本社は「じゃあ今日はお店をお休みにしましょう」を言うわけにいかないが、個人商店だったらシャッターにお詫びの張り紙をすることで休養が許される。それどころか、次に店を開けた時、お得意様が「大丈夫だった?」「体調はもういいの?」と心配してくれる場合まである。

私がnoteで出している「所要日数10日間」という数字は、何もかも自分で調節し何もかも自分でゴーサインを出し、良い面も悪い面も便利も不便もすべて自分で背負うからこその、所要日数10日なのだ。

ちなみに「2ヶ月半にも満たずに売り上げ100万円」「所要日数が月10日間」ということは、フルタイム勤務に換算すれば、1ヶ月程度の勤務日数で100万円を売り上げたことになる。


出版社が養わなければならないのは関係者全員。

出版社が本を売って養わなければならないのは関係者全員だ。作家だけではない。編集部員、デザイナー、営業マン、Webの担当者など(…と、その扶養している家族たち)。もちろん、警備員や受付担当者のお給料だって、間接的にコンテンツの売り上げから出ていたりするわけで、規模が大きい企画は稼ぐべきお金も大きくなる。厳密な採算の話をすれば、一つの漫画、一つの小説、一つの企画、それぞれ養わなければいけない関係者をたくさん持っているわけだ。関係者全員が食べていくために、企画というのは淘汰されて、足を引っ張る不人気作品は打ち切られる。あるWeb漫画が月に100万円売れた場合、(実際の経理上・帳簿上そうはならないが「関係者みんなの食い扶持をコンテンツが稼ぐ」という意味合いに於いては、)100万円の売り上げをこの関係者全員と分け合わねばならない。となると、作家の原稿料に100万円かかってしまったら、他の関係者が得られるお金がなくなってしまう。だから、企業を介した企画では100万円しか稼いでこないような漫画は、まず企業内で需要がなくなる。そんなコンテンツでは誰も養えないからだ。(実際は不人気企画が食い潰した分を人気企画の利益が支えてくれているため、不人気作家にもある程度仕事の機会は回ってくるが、不人気作家は通常、出版社の関係者を養っていかれない。)(書店という直接的に本が売れなければ回らない関係機関があることも留意されたい。書店関係者もまた出版関係者と同じく本を売らなければ生活できない。)

一方、個人で出版すると養わなければならないのはとりあえず自分(と扶養している家族)だけだ。自分の周りの生活に必要なお金さえなんとかできれば生きていかれるのだ。企業を介した漫画とは異なり、この売り上げは自分のためだけの売り上げである。自分を養うには充分だ。年収600万円以上欲しいのであれば、100万円稼いでくる漫画を年に6本書くとか、2ヶ月で100万円売り上げられるコンテンツを1年間リリースし続ければいい。100万円しか売り上げられない漫画家は企業を通して5本も描かせてもらえないはずだが、自分だけが生きていくのであれば2ヶ月ごと100万円も稼げば充分だ。というか、そんなに稼がなくたって死にはしない。

打ち合わせにかかる時間も予算もない。他人が読解できる企画書を提出する必要も、他人が読解できるネームを作成する必要もないから、他人の目に触れる制作物といえば最後の原稿のみ。それまでの部分は自分さえ解読できればいいので走り書きのメモでいい。企業を介して原稿料で生活していくより、採算のハードルも低く、かかる時間も少ない。理不尽な修正(大抵は追加か変更)要求に晒されるリスクだって少ないし、相性の悪い編集者にストーリーを捻じ曲げられることも絶対に起きないし、ストーリーを捻じ曲げられないための攻防戦(打ち合わせ)に、月何日も費やす必要もない。

大好きな少年ジャンプから単行本を出す、大好きな別冊マーガレットから単行本を出す、というのが目的でなければ、(クリエイターとして商業活動をして生活することのみが当面の目的であれば、)読者から直接得られる売り上げを増やすことに注力すれば活路あり。


個人出版じゃ印税が出ないじゃないか!

「単行本を出せば印税がもらえる」という仕組みを知っている人も多いと思うが、このご時世、単行本というのは何も、紙媒体だけではない。もちろん紙媒体の、電子書籍ではない、所謂「本」の単行本を手にすることはとても嬉しいことだが、“印税を得るための出版”として考えた時、単行本は個人でも出せる。AmazonがリリースしているKindleを始め、各社で電子書籍の出版が可能だ。そして出版社からリリースされた電子書籍と同じように買える。買われる。

たとえばnoteの連載も、noteユーザーという限られた層しか購読できないが、電子書籍化することでAmazonユーザーが買えるようになる。私の場合、noteの連載が溜まった段階で(連載の売り上げが好調だったものに関しては)電子書籍の単行本化を行うつもりなので、「印税が出ない」のではなく「印税はこれから」だ。むしろ不人気であれば打ち切られて単行本がお蔵入りする厳しい商業誌連載より、自分で出せば必ず出るのだから、印税の有無に関しては、個人出版のほうが生易しいこと限りない。

電子書籍を出したあと、ネット上で大きく話題になったり売れ行きが継続的に好調であれば「紙の単行本を出版しませんか」という打診が必ず来る。(ただ、そんな打診が来るレベルであれば、個人でリリースした電子版の印税が生活に必要な額面を満たしていると思うが。)


2ヶ月、noteだけで充分生活費を得た感想。

楽だ。

ここで言う「楽」は、無責任な気分や、手を抜いている気分のことではない。
楽に稼げるという実感もあまりない。(この点については別項にてSNS営業を怠った時期の無残な売上について考察した。)

原稿を制作し続けることも(出版社が相手でも執筆時の根気は必要になるが)根気の要る作業である。
欠かさずSNSで営業をかけることも行為そのものはシンプルだけれど「その時々でどういう営業方針を取るか」の選択がまったく簡単ではなかった。
一人で何もかもこなしてお金を得ようというのだから最低限の苦難はつきものだ。

ただ、それでも「原稿料を得て暮らす」ことと比べたら、楽だった。
楽という響きはどこか無責任な響きがあるので、言い換えると、「人間的な暮らしができたと思う」というのが、私の言う「楽だ」の内訳だ。

私の関わるすべての編集者が鬼というわけではないし、今でも頻繁に連絡を取り合うほど親しい担当編集さんもたくさんいる。それこそ、SNSでプライベートを覗き合うことが苦にならない人も多い。

一方で、コンビニでアルバイトしたほうがよほど儲かるような稿料を設定してくる編集者もいる。「自分がなんとなく気に食わないから」とか、(ヒット作を担当したこともないのに…)「勘で」「なんかしっくりこない」という理由なき理由で修正(大抵は追加や変更)が永遠に続く案件もある。かと言って放り投げるわけにいかないので最後までやり抜くのだが、無駄な根気の要ることだ。無駄で、不毛で、無意味で、収入にも人気にも結びつかない、ただ担当者を満足させて、「オッケーです」を言わせるためだけの無駄な根気を費やす仕事も多い。それだけのために眠れなかった夜がどれだけあったか分からない。

だったら断ち切ればいいと思うのだが、案外簡単にはいかない。どんなに不満のある職場でも気軽にやめる人は少ない。次の仕事がすぐ見つかるのか、もっといい仕事に就けるのか不安だからだ。だから私も、自発的に仕事を断るようなマネは(よほどでなければ)してこなかった。

徹夜や休日出勤に費やした時間のすべてが、コンテンツをよくするために必要だったか振り返れば、(必要な修正は早急に必ず行うべきだが、)「仕上がりの読み心地に大差はないが、担当者や関係者を納得させるために必要な対応」が少なくない。私の働き方に非がなかったとは言わないが、受けた注文に無駄がなかったとも絶対に言えない。「寝なければ間に合う」「休まなければ間に合う」に断固反対する気はない。どんなブラック労働になろうが、寝ることを諦めれば鮮やかな表情を描く時間が余るなら寝ないし、休むことを諦めれば痛切なストーリーに育ちそうなシナリオが手元にあるなら休まない。そんな苦労は、私がすべき苦労だから構わないが…。

無職になって、原稿料をすべて諦めたことで、これまで苛まれた困りごと(=理由なき理由による修正、不毛な打ち合わせ、不足だらけのオーダーに対する確認作業など)に充てざるを得なかった時間を、すべて休日とプライベートな時間に変えることができた。

原稿料をもらうためには、原稿料をくれる組織からのゴーサインが必要だ。そのゴーサインやリテイクが〈読者にリリースするコンテンツの品質を保つため〉のものであれば苦痛など全くないが、関係者の好みや思いつきや気まぐれであればあるほど、ゴール地点は定かでなく、スケジュールは圧迫された。今より若かった頃は、それでも必要とされたことが嬉しかったし、そういう極限状態の労働も良い経験として受け止めた節もあった。一人前のクリエイターのようで嬉しかった記憶も少しはある。

今は、私の作るものが好きな読者に末長く私の作ったものを楽しんでもらえて、私の産んだコンテンツが志半ばで早死にせずに、当初の意志を全うして完結できるなら、どんなに地味な売り方でも、どんなにパッとしない肩書きでもいい。(できればその上で、改めて名声を掴みに商業誌に戻りたいが、焦る気持ちはない。だから今は新しい依頼が商業誌からきても、一部の上得意様を除いて、すべて辞退している。「無職」状態だからできる暮らし方・作り方・売り方をもっと探していきたい。)それから、できれば毎日7時間は寝たいし、プライベートな時間も週に何回か欲しい。勉強もしたい。できれば、日に一度くらいは料理を作る時間も欲しい。お風呂もゆっくり入りたい。その上で、商業誌でなくてもいいから、商業誌からの依頼でやる水準の原稿制作も続けたい。「結果も売上も人気も品質も大して変わらない気まぐれな発注」に体力と気力を費やすほど、作家生命は太くないし長くないし軽くないから、私にとって大事なものと、読者にとって読みたいものだけ生かすことに尽力したい。

なんだかんだ言っても、無職という状態は、怖いか怖くないかと言えば、怖い。もう、超怖い。
最悪。
将来が明るいなら1ヶ月ぐらい休みたいけど、先のことが分からない状態なら、もう絶対職を失いたくない。けれど、取引先という命綱を手放すことと引き換えに、しがらみも解けた。もう、私に無意味で不毛で採算度外視で無茶で気まぐれな注文をつける人はいない。

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