恋外202005

ひとふで小説|レンガイケッコン(16)

これまでのお話:第1話収録マガジン(前回まで)


(16)

「管理人さんシートベルト、しました?大丈夫ですか?」
「あ!は、はいっ!はいっ!帰りは大丈夫です!さっきは、緊張しちゃって、ははは」
「帰り?行きもシートベルトちゃんとしてましたよ?」
「あ、あ、そっか、西関さんは気付いてないですよね、ごめんなさい、恥ずかしいから余計なこと言わなきゃ良かったな。実は来る道では乗る時に緊張しちゃってシートベルトうまくいかなくて、高級車はシートベルトも難しいな、全然はまらないなとか思って、よく見たら椅子とコンソールの間にシートベルト挿そうとしてただけだったっていう…はは…」
 東之は小さく腰を浮かせると、確認し直すように体の重心を助手席の中央に置いた。そわそわした動きのまま落ち着けようとした背中は弾力のある背凭れに僅か跳ね返されたあと、しっかりと沈んだ。実家の車とは、まったく違う座り心地だった。
 エンジンを震わせた蓮本は、周囲を注意深く確認しながらサイドブレーキを解除する。
「うふふ、そんな緊張しなくても。でもこれ高級車じゃないんですよ、新車としてデビューした時は確かに高級車として売られたモデルだけど、中古で買ったから、大したことない値段なの」
 そう言ったって、人気作家の言う「大したことない値段」なんてどうせ、大したこと、ある。
 加速する卑屈に東之自身も嫌気が差していたが、卑屈を抑えるよりも卑屈でいるほうが心地良かった。その居心地の良さが積もり積もってどれほど自分を蝕むとしても、意識とは別の部分、心なのか脳なのか頭なのか性格なのか、どこが拠点になっているかは分からないが、どこかが気持ち好くなるのだ。羨んで、見透かした気になって、悪く思って、受け止めない。
 それがやがて人格として自身に定着する毒でも、毒に侵されている限りは心地好い。自浄して毒を抜く苦しみと比べたら、楽な生き方なのだ。

「では、出発進行しまーす」
 蓮本は屈託なく言った。
 車はゆっくりと、駐車枠に設置されたフラップ板を乗り越える。
「よい…しょ、ごめんなさい揺れ…ますっ」
一瞬車体が上下に揺れて、蓮本の愛車が出庫の扱いになった。間も無く窓の外の景色がぐるんと横に滑って、助手席のサイドミラーからはさっきまで両隣に並んでいた車両が見える。
 コインパーキングの敷地と車道を遮る歩道を、同じスーパーで買い物したらしい人が通り過ぎて行った。一人のために買い物をしているのだろうか、それともパートナーとの衣食住の断片を健全に形成する挙動だろうか。
 今日の買い物は楽しかった。弁当を忘れてよかったかもしれないと思う。
 一人で買い物をした記憶が時折あるだけのつまらないスーパーは、蓮本とサッカー台について喋ったスーパーになった。素敵な車に乗せてもらった。蓮本は今夜、他の弁当ではなく卵とじのカツ丼を食べるかもしれない。東之の言ったとおりに。だとすれば蓮本の人生をほんの少しだけいじってしまった。大変な出来事だ。乗車しようとして、体をぶつけてしまった。優しく笑われた。車に傷がついたかもしれないのに、最初に言われたのは「痛くなかった?」だった。優しくて明るくて楽しい時間だった。
 そんな中にあっても、自分は胸中で、幾度か毒を吐いた。虚しくなったが、落ち着いた。この歪みが、どうせ私なのだと東之は思った。
 だから自分には、特定の誰も居ないのだ、きっと。
(嫌い…)
 何が嫌いなのか、具体的には判断できなかった。自分だし、人生だし、世の中だ。それと、生き方や、人格に、思考パターンも。ただ、蓮本のことでは、多分ない。

 蓮本は注意深く周囲を見渡しながら歩道に車の頭をゆっくり出した。死角に車や二輪車が無いか、視線は街路樹の合間まできめ細かく縫っている。車道に乗り出して素早く丁寧に速度を整えると、口を開いた。
「管理人さんは、よくあのスーパーに?」
「いえ、普段はお弁当なので、あんまり…。どうしても業務上必要なものがあれば行かないこともないんですが、そこまで急に必要なものは量が少なければ近くのコンビニに行きますし、量が多い時はスーパーよりホームセンターのほうが揃う可能性が高いので、あっちまで行っちゃいますね。でも翌日以降の納品で問題ないものは業者さんに発注したり通販で済ませることが多くて、仕事中は用事ないですね。たまに帰りに寄るくらいですね。お給料日前とか、お弁当安くなってないかなってパトロールに。でも稀ですね。家の最寄りにもありますし、スーパーは」
 言い終えた東之は、ほんの少しの薄っぺらな情報を実に長ったらしく仕立てた文才の無さが恨めしくなった。どうせつまらない話なのだから「ほとんど行かない」とだけ言えば良かったのだ。同じ文字数を与えられたのが蓮本ならば心の傷の一つや二つ慰める言葉を詰め込めるのだろう。才覚に恵まれないアルバイトの身を隠してしまいたくなった。
「そっか。そこのスーパー、マンションからはちょっと遠いっていうか、近いんだけど辿り着く手前にコンビニ何軒かあるじゃない?だからほとんど来る事がなかったんですけど、今日楽しかったから私また来ちゃいそう」
 東之の卑屈を掘り返すことなく、蓮本は無邪気に語った。
「…そうですね、私も、駅がこっちの方角だったら仕事帰りに絶対もっと行くようになったと思います。今日はありがとうございました、光栄でした」
「…どういたしまして。…こちらこそなんですけどね」

 東之は黙って街の景色を目に収めながら、たとえばこの街に暮らす人々は皆、“どのくらい本当の自分”で人と接しているのか考えた。答えは、知らぬ他人一人一人の胸中にしか無い。
 蓮本でもある西関と深入りしない道にはそれなりの気楽さがあるだろう。東之は今後の蓮本あるいは西関との接し方に考えを馳せた。けれど、気楽さを理由に親しむ好機を切り捨ててしまうには、あまりにもったいない人材だ。なにしろ『蓮本の仕事ぶり』も“西関の気立て”も、東之が出会える地続きの世界の中では尊すぎる。
(こんな人、これまで居なかったもんな…。居そうに見えるけど、本当に居るかっていったら、自分の周りで見つけるのは簡単じゃないな…多分…。っていうか簡単じゃないからこの人、人気のエッセイストなんだよね)
 自分と似たところに生きづらさや心の暗さを感じる人は、よくよく話を聞けば身近にも居るだろう。ただ、友人知人の中に現段階で把握できているそんな話が通じる者は無い。そういう話をしやすい友達が、そもそも居ない。と言うか、蓮本が著作で触れるような自己分析や自己肯定感の話なんて、既に出来上がった友人達とは話したくはない。
 だから、今のところこれほど細かな解像度で自分と似た薄暗さを理解してくれる“保証”まで整えた人間は、東之と地続きの世界には蓮本ただ一人を除いて、他に誰も居ない。
 とは言え、多忙であろう蓮本を捕まえて身の上話を聞かせるには、まだ他人すぎる関係だ。いくら自著の数々と同じ方角の話題だからといって、蓮本だってマンションの管理人の過去の恋愛やつまらない苦渋を知りたい用事はないだろう。
 人気から逆算しても、トークショーの後の握手会で泣き出す客層を思い返しても、自分と同質の悩みを抱える人間は蓮本の周りに充分すぎるほど集まってくるし、蓮本側に“同じ悩みを感じる人と知り合ってプライベートで仲良くなりたい”という欲求はないように思える。

 それに、身の上話は恐ろしいものだ。
 なぜならば「自分が独り身であることに“感じるべき”とされているようなコンプレックスをしっかり持っていること」や、しかし、それでいて「飽く迄もコンプレックスを感じ“させられている”だけであって、彼氏が居ないことを恥ずかしいとか劣っているとか思ったことはない」という認識を打ち明けることは、すべて「強がっているだけ」という的外れな、しかし『的を外している割に大きな傷を残す恐ろしい論法』で斬り返されるリスクを伴っているから。
 東之はこれまで何度も既婚の友人やお節介な親戚から、伴侶を作らない生活を心配され、結婚の良さを勧められたし、その都度、真意をもって対話に臨んだ。自分は今、無理に誰かと付き合うほど寂しさを感じていないし、このままの生活がいいのだ、と。それで毎回、撃沈した。
 というより、沈没していないのに船の上空から沈むまで水を注がれた。そんなはずはない、寂しいときもあるはずだ、老後が虚しくなる、居ないから居る良さが分からないのだ、と。現状への納得を剥奪され、強がらないで素直になるほうが相手が見つかりやすいと説かれた。
 強がりだと決められてしまうことは、とにかく恐ろしい。とにかく、あなたが言っていることは強がりです、と決められた途端に真意が割り込む余地がすべて塗りつぶされてしまう。
 痛むことを“強がり”の証拠とされることにもうんざりしている。決して、強がっているから痛いわけではない。痛みを感じるほうへ、痛みを感じるほうへほうへ、痛みを感じるほうへほうへほうへと、強引に追い込まれているから痛みが強くなるだけなのだ。なんなら最初はまったく痛くなかったものまで、いいえあなたが感じているこれも痛みの一種です、と、痛みだったことにされてしまうこともある。気にしていなかったササクレを肉が剥き出しの完全な傷になるまで引っ張られたこともある。そうして得意げに、ほらやっぱり痛むんだろ、と思い知らされる。これが痛くないのは異端者だと認めるまで、善意の正しい人生を送った人々に追われる。

 蓮本だって解釈を間違えれば、たとえば優しく「強がるのも辛いですよね」なんて言いながら、強引に“強がり”方面へ東之を連れて置き去る可能性が、無いとは言えない。悪気があってすることではないから、この可能性は蓮本と言えども話してみるまで必ず残るのだ。尤も、蓮本ほど高解像度の処理能力がある人物は「強がりだと思われると困る」というのを丁寧に伝えれば誤解を解いてくれるに違いないが。…世の中そういう人ばかりではない。
 語らねばほとんど伝わらず、語ればくたびれる。黙ってそのままにしても苦になる、話すのは不安、話さないまま勝手な解釈を受けるのも嫌だ。何をどうしたところで、どの道どこにも安息の結末が見えない。
 特定の人から愛される生活を送れていない独り身である、という“弱点”の最も弱い部分は、むしろ、特定の人から愛されていないことよりも本件に関して自分自身がどう説明をつけ周囲にどういう態度を取るか苦悩するという精神労働にあるのではないかと東之は時々思う。

レンガイケッコン202005

つづく

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)