見出し画像

日記

国税庁から振り込まれた還付金の額をみて(今年に入ってからの収入よりも多い気がする…)とおもった。
じぶんは収入の数字でいえば極貧層にあたるとおもうけれど、のんびりと、お金に困ることもなく何故か普通に暮らしている。別に、食材がわんさか手に入る田舎に住んでいるわけでもないし、アトリエの家賃は払っているし、車も持っているし、財布の中身が2円だったこともある。お金がないとやたらと口にする同級の年収がわたしの倍以上もあって、(わたしもお金がないのかもしれない……)とおもった。ほんとうは、みんなみたいに困らなければいけないのかもしれない。それでも、「足りなさ」を感じることができなかった。
じぶんは、じぶんの暮らしにおおよそ満足している。収入が少ないのは、本来働けば得られるお金で時間を買っているからだ。時間を買うことの素晴らしい点は、消費税がかからないこと……。満足していないのは、せっかく買っている時間の使い方が深刻に下手だということ。それでも、ずいぶんと良くなってきた……

不満なのは能力のほうだ。わたしはまだプリンを一度も成功させていないし、食べられる野草も知らない。生き物の捌きかたを知らない。英語をすらすら話せない。ちゃんと本が読めない。作曲をしたことがない。人間を知らない。などなど
それらにお金は必要だけれど、お金によってすぐに満たされるものではない。お金には可能性があるが、限界もある。さらに、わたしが大事にしているものに限って、お金の不可能な部分にある。それは、記憶だとか、感情だとか、知識だとかそういう……
だから、必要な分だけ稼いで使いきるくらいがちょうどいいのだろうと思う、本来は。

稼げば稼ぐほど、利益を出せば出すほどよいというのは、分かりやすくていいとおもう。けれども、そこから得られるものに限界を感じているわたしは、それを高みとして設定している界隈に付き合いきれない。利益を出すためには多くの妥協が必要になる。わたしはそういう虚しいものをじぶんの仕事としてだすことができないくらいにはプライドが高い。だから、わたしは仕事に向いていない。使い物にならない
けれども、その界隈で心地よく生きている人びとには、わたしからは見えない素晴らしい景色があるのだろう。そういう意味で、わたしはかなしい人間である
それと同様に、わたしがいま見ている景色も素晴らしいのだ。だから、どちらが正解というわけでもない。
わたしにはあなたの見ている素晴らしい景色が見えないし、あなたにはわたしが見ている素晴らしい景色が見えない。それでいい。お互いに、よき日々を……

最近、ベーグルとチーズが作れるようになってとてもうれしい。3回焼いていて、3回ともおいしくできたけど、Wikipediaのベーグルの写真には程遠いビジュアルをしている。少しずつ良くなっているし、記録の写真を見返せば、初回ベーグルはあれをよくベーグルだと言い切ったな……と、感動するくらに酷い。この図々しさがあるから生きていられるのだと思う。
スーパーにドライイーストを買いにいったら、売り切れていておろおろした。お菓子屋さんにいったら、ちょうどパン祭りをしていて、30g300円くらいで買う予定だったドライイーストが、125g400円くらいで買えた。そしてポイントが5倍の日だった。
運がいい。

じぶんの暮らしに金銭的な困難が無い(いや、本来ならば困難極まりないのですが、鈍感なだけです)のは、この運のよさによるものが大きいと思う。この世のすべてに感謝します……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?